終点はアンドロメダ~
末期がんだった父を自宅に戻す決心ができたのは1冊の本のおかげだった。
20代前半に住んでいたアパートは最寄の駅に図書館があり、夜間ポストも付いていて、借りるのも楽、返すのも楽だった。
前の会社の社長が、何気なく「この人は良いね」などと言っていた人がいた。
名前だけぼんやりと覚えていて、図書館でブラブラしていると、ふとその名前が目に留まった。
波多江 伸子著「モルヒネはシャーベットで」
衝撃的な題名であるが、内容は終末ケアの話。
ターミナルケアという言葉を知ったのもこの本のおかげである。
読んだのは、確か、、、22歳かな?
で、父が末期がんであるにも関わらず「自宅に戻りたい」とワガママを言ったときに、図書館に行って再度借りたのもこの本である。
読んで、なんとなく勇気付けられ、勇気というか、なんというか、明るい開き直りですかね。
死ぬときは死ぬさ、という。
もちろん、この世で一番大好きな父であるから、死ぬとか本当に辛いわけですが、それでも父の希望を最優先しようと、それで死期が早まっても仕方がない、という。
たった一人で、誰にも相談できず、それでも踏み切れたのはこの本のおかげです。
だって、誰かに相談したって、「そんなこと!ダメダメ!」って言われますから。
近所の病院の先生はとても良い人で、私の決断にとても困っておられたけれど、
「お父さんも頑固やけど、アンタも頑固ねぇ」と笑ってくれた。
父のレントゲンなども、父の入院していた病院から取り寄せてくれたりして、
「いや~、やっぱり病院におった方がいいけどね~」と再度引き止められたりした。
それくらい末期だったのだ。
余命3ヶ月というのもテキトーで、たぶん、いつ死んでもおかしくなかったのだろうな。
「でも、センセ、病院にいたら1年も2年も延びます?」
「それはないけど、、、」
「じゃ、自宅も病院も一緒でしょ?数ヶ月しか違わないんでしょ?」
「いや~、、、」
と、同意も得ず、父は退院してしまった。
もうその時の父の笑顔といったら。
料理の下手くそな私が炊いたご飯(かなり柔らか目)を何度も何度も「美味しい~~!!!」と絶賛した。
「おかわりどうしようっかな~。でも体重増えたら困るし、、、」とダイエット中の少女のように身もだえをしていた。
体温と、体重と、便秘はだけは気をつけて、と言われていたのだ。
それからは、父が運転する車で、ジャスコに行ったり、ソフトクリーム食べたり、日々楽しく暮らした。
そして3ヶ月後、父は亡くなった。
亡くなる3日前まで車を運転していた。
59歳、早すぎるけど、天寿を全うしたと思った。
こうして振り返ると、何もかも運命のような気がする。
あのとき、前の会社の社長が話しかけてきて、その人の名前をなんとなく覚えていて、その人の本が図書館にあって、、、、。
どう考えても、「その本を読んでおいてね」という、何か得体のしれないものからの導きっぽい。
おかげさまで、私としては一遍の悔いもない。
本当にありがたいことだなぁ、と。
こういうのは何に感謝したらいいのでしょうねぇ。
いつか、人は、死ぬんです。
私も。
で、あるならば、それぞれの終末について、考えておいた方がいい。
人は寝たきりになると細胞が腐ってしまう。
床ずれ(褥瘡)ですね。
これは、もう、生物として「土に還ろう」とする働きです。
また土に還って他の生物の礎になろうと。
それが自然の仕組みです。
と、いうことは、そこでおしまいなんですよ。
自分の意思でご飯を食べ、「美味しい~」と思い、自分の意思でジャスコに行ってソフトクリームを食べる。
これが意思です。
それなのに、病院は「胃ろう」をすすめる。
確かに寿命は延びるかもしれない、でも、寿命が延びたからといって何になる?
チューブを外されないように縛られるんですよ?
美味しくもない栄養を胃に直接ですよ?
病院経営は点数でもっています。
寝たきりは少ない人員で管理できます。
で?
超高齢化社会が目前です。
自分の脳をちゃんと使って、どうすべきか、一生懸命考える。
他人の脳じゃだめ。
人それぞれ、感性が違うから。
死は怖いです。
死を恐れるのは動物の本能だから。
でも、みんな、死にます。
死は避けられないけど、死に方は選べます。
終末医療、ターミナルケア。
自分なりにどうすべきか、日ごろから考えておいて損はないです。
点数にならないから、日本のターミナルケアは遅れています。
ターミナルケアには人員がかかるから。
儲からないんです。
病院を頼ってもダメです。
商売にならないことはしないから。
宗教を頼ってもダメです。
お布施を要求されるだけだから。
自分の脳を使って。
タダだし、最適な解答が得られるから。
明らかに極めると書いて「あきらめ」です。
諦めも肝心。
にんとも、かんとも、にんにん。
20代前半に住んでいたアパートは最寄の駅に図書館があり、夜間ポストも付いていて、借りるのも楽、返すのも楽だった。
前の会社の社長が、何気なく「この人は良いね」などと言っていた人がいた。
名前だけぼんやりと覚えていて、図書館でブラブラしていると、ふとその名前が目に留まった。
波多江 伸子著「モルヒネはシャーベットで」
衝撃的な題名であるが、内容は終末ケアの話。
ターミナルケアという言葉を知ったのもこの本のおかげである。
読んだのは、確か、、、22歳かな?
で、父が末期がんであるにも関わらず「自宅に戻りたい」とワガママを言ったときに、図書館に行って再度借りたのもこの本である。
読んで、なんとなく勇気付けられ、勇気というか、なんというか、明るい開き直りですかね。
死ぬときは死ぬさ、という。
もちろん、この世で一番大好きな父であるから、死ぬとか本当に辛いわけですが、それでも父の希望を最優先しようと、それで死期が早まっても仕方がない、という。
たった一人で、誰にも相談できず、それでも踏み切れたのはこの本のおかげです。
だって、誰かに相談したって、「そんなこと!ダメダメ!」って言われますから。
近所の病院の先生はとても良い人で、私の決断にとても困っておられたけれど、
「お父さんも頑固やけど、アンタも頑固ねぇ」と笑ってくれた。
父のレントゲンなども、父の入院していた病院から取り寄せてくれたりして、
「いや~、やっぱり病院におった方がいいけどね~」と再度引き止められたりした。
それくらい末期だったのだ。
余命3ヶ月というのもテキトーで、たぶん、いつ死んでもおかしくなかったのだろうな。
「でも、センセ、病院にいたら1年も2年も延びます?」
「それはないけど、、、」
「じゃ、自宅も病院も一緒でしょ?数ヶ月しか違わないんでしょ?」
「いや~、、、」
と、同意も得ず、父は退院してしまった。
もうその時の父の笑顔といったら。
料理の下手くそな私が炊いたご飯(かなり柔らか目)を何度も何度も「美味しい~~!!!」と絶賛した。
「おかわりどうしようっかな~。でも体重増えたら困るし、、、」とダイエット中の少女のように身もだえをしていた。
体温と、体重と、便秘はだけは気をつけて、と言われていたのだ。
それからは、父が運転する車で、ジャスコに行ったり、ソフトクリーム食べたり、日々楽しく暮らした。
そして3ヶ月後、父は亡くなった。
亡くなる3日前まで車を運転していた。
59歳、早すぎるけど、天寿を全うしたと思った。
こうして振り返ると、何もかも運命のような気がする。
あのとき、前の会社の社長が話しかけてきて、その人の名前をなんとなく覚えていて、その人の本が図書館にあって、、、、。
どう考えても、「その本を読んでおいてね」という、何か得体のしれないものからの導きっぽい。
おかげさまで、私としては一遍の悔いもない。
本当にありがたいことだなぁ、と。
こういうのは何に感謝したらいいのでしょうねぇ。
いつか、人は、死ぬんです。
私も。
で、あるならば、それぞれの終末について、考えておいた方がいい。
人は寝たきりになると細胞が腐ってしまう。
床ずれ(褥瘡)ですね。
これは、もう、生物として「土に還ろう」とする働きです。
また土に還って他の生物の礎になろうと。
それが自然の仕組みです。
と、いうことは、そこでおしまいなんですよ。
自分の意思でご飯を食べ、「美味しい~」と思い、自分の意思でジャスコに行ってソフトクリームを食べる。
これが意思です。
それなのに、病院は「胃ろう」をすすめる。
確かに寿命は延びるかもしれない、でも、寿命が延びたからといって何になる?
チューブを外されないように縛られるんですよ?
美味しくもない栄養を胃に直接ですよ?
病院経営は点数でもっています。
寝たきりは少ない人員で管理できます。
で?
超高齢化社会が目前です。
自分の脳をちゃんと使って、どうすべきか、一生懸命考える。
他人の脳じゃだめ。
人それぞれ、感性が違うから。
死は怖いです。
死を恐れるのは動物の本能だから。
でも、みんな、死にます。
死は避けられないけど、死に方は選べます。
終末医療、ターミナルケア。
自分なりにどうすべきか、日ごろから考えておいて損はないです。
点数にならないから、日本のターミナルケアは遅れています。
ターミナルケアには人員がかかるから。
儲からないんです。
病院を頼ってもダメです。
商売にならないことはしないから。
宗教を頼ってもダメです。
お布施を要求されるだけだから。
自分の脳を使って。
タダだし、最適な解答が得られるから。
明らかに極めると書いて「あきらめ」です。
諦めも肝心。
にんとも、かんとも、にんにん。
2016-09-03 10:51
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コメント(2)
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い〜なぁワタシも最後は自分の思うように過ごしたい。
最後の最後まで自分の命を全うしたいです。
息をしてるだけ、心臓が動いているだけ…それが生きていることになるとは思いません。(個人の感想です)
お父様は最後までparanaさんと一緒にいれて幸せだったでしょうね。
by GEN11 (2016-09-10 23:45)
>GEN11さん
私も、最後の最後まで自然体で天寿を全うしたいです。
日本は欧米と思想が違うので、どの施設も「寝たきり」が多いです。
少ない人員で大勢の面倒をみる。
アメリカだと、朝からちゃんと綺麗な洋服に着替えてもらって、散歩だのなんだのケアが手厚いです。
しかし、アメリカの施設はメチャクチャお値段が高いワケで。
本当に分かりやすい経済の仕組みですね。
私の父はワガママでしたけど、そういう強い希望を出してもらえて助かりました。
父も、私も後悔しなくてすみましたから。
猫のようにね、死期を察したら、美しい景色の所に行って、静かに死にたいですね。
しかし、おなじことをすると、人間だと変死扱いでとんでもないことになりますね(笑)
死は怖いですけど、それも含めて冷静に対処したいなぁ、と思います。
コメントどうもありがとうございます(^^)
by parana (2016-09-17 09:55)