SSブログ

ローとソー

鬼平犯科帳が好きである。

テレビシリーズも好きですが、やはり、本が素晴らしいと思う。

テレビドラマの中では出てきませんが、小説の中ではお父さんがたまに登場する。

鬼平のお父さんですね。

鬼平こと長谷川平蔵のお父さん。

このお父さん、あんまり役に立たないイメージなんです。

平蔵少年は継母にとてもいじめられるわけですが、この継母を叱ってくれればいいものを、何もしないんです。

そういった役に立たなさがモヤモヤするのですが、平蔵少年をいつでも見守ってる感じがあります。

継母の酷いいじめで家を飛び出して、悪い連中とつるんで、放蕩をするのですが、

別に叱るわけでもなし、平蔵の好きにさせているんです。

で、その父親の晩年、愛用の杖がありまして、そこには「和光同塵(わこうどうじん)」と彫ってあるんです。

本を読んでいるときはピンとこなかったのですが、ある日、「あぁ、老子だ」と気付きました。

和光同塵、どんな意味でしょ。

道沖而用之或不盈
淵兮似万物之宗
挫其鋭 解其粉
和其光 同其塵
湛兮似或存
吾不知誰之子
象帝之先

道は沖(ちゅう)なり、而(しこ)うして之(これ)を用うるに或(あるい)は盈(み)たず。
淵兮(えんけい)として、万物の宗(そう)なるに似たり。
その鋭(えい)を挫き、その紛(ふん)を解く。
その光(こう)を和げ、その塵(じん)を同じくす。
湛兮(たんけい)として常に存するに似たり。
吾(われ)、誰の子なるかを知らず。
象(しょう)は帝(てい)の先にあり。

難しいですねぇ、相変わらず。

道というのは、からっぽの容器のようだが、くんでも、くんでも、尽きることがない。
底がみえず、万物のもとのようだ。
そこでは、鋭さはくじかれ、粒子は解かれ、
光は和らげられ、塵もみえない。
まるで静かな沼のようだ。
われわれは、それがどこから生じたのか知らない。
はるか昔からあるようだ。

なんでしょ、これ。
宇宙っぽい。
なんだか、ブラックホールの説明みたい。
壮大すぎて、もう、ね。

で、和光同塵なんですけどね。

光というのは、才知のことですね。
自分の賢さをアッピールするなよ、と。

何度も、言いますが、人間は社会的動物です。
その中で生き残るには、いかに自分が優秀であるかをアッピールせねばならんわけで。
でもね、それはちょっと待て、と。
宇宙という壮大なものに寄り添って生きる場合、「なんぼのもんじゃい」と。

自分の光を和らげる。
つまり、他人から見たら、隙だらけの人間ですね。
そういう人の方がね、良いんです。

22歳くらいですかね、前の会社の社長から、

「君はカミソリだねぇ、カミソリはね、道を拓けないよ、ナタにならなくちゃ、ナタ」

「ナタ?」

「うん。ナタ。山道で道のないところを歩こうとするときは、ナタで叩きながら進むでしょ」

「はぁ」

「カミソリはね、役に立たないの。そういうときはナタよ」

「ほー」

「ナタになりなさい、ナタに」

22歳くらいの頃は、ほんとに、切れるという鋭さの方が大事だと思っていた。
その頃は、自分独りで仕事をしていた。
というか、結果として、独りになっていた。
でも、独りでできる仕事は、所詮、小さい。

大きな仕事は数人必要。
数人っていうのは主要メンバーのこと。
主要は数人で良い。
5人くらいで良い。
5人ひとり、ひとりが、とんでもなく我がまま。
我がままな人達にうまく寄り添うには、カミソリではダメなのだ。
ナタを意識したおかげで、面白い仕事ができた。

人生は、いろんな場面で、いろんな人が、良い事を言ってくれる。

ありがたいことです。

やっぱり、老子は良い本です。

これがバイブルに変わっていたら、よかったのになぁ。

もう何もかもが遅い。

これもまた運命。

にんともかんとも、にんにん。
nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 2

コメント 2

マー

カミソリとナタ、良いですねぇ~、引き出しに入れときます( ̄∇+ ̄)vキラーン
老子はすごいな・・圧倒的かと思いや、その反動?的に、「そっか!」って。

確かにそうだと感じますよ。
鉈と同じような事だけど、キレッキレが突出したり集まってもダメんですよね・・
私、そして仕事(溶接構造体の製造)は、各分野それぞれの者が切磋琢磨して技を磨いて糧にしているけれど、
協力して作り上げるとなると、話は変わってきますね。
それぞれが自分の腕を見せたがるんですよ。

上司には同じような事良く言われました。
「お前ら、オレがオレがで、自分の刀だ鉄砲だのの自慢するな、むしろ誰が何持ってるか見極めて、使え!」って。

みんなが名刀振り回したら怖いし、勿体ないわな・・^^;

・・・ま!私は万年昼行燈で(笑)

by マー (2014-05-19 23:01) 

parana

>マーさんへ

昼行燈、良いですねぇ。
そういう人がね、必要なんです。
みんながキレッキレだとね、ダメですね。
柔らかい光で包み込むような、そういう人になりたいなぁ。
老子は、その良さが分かりにくいので、なかなか普及しませんね。
孔子の方が分かりやすいですからね。
もちろん、孔子も良いんですけどね、どうしても浅い。
孔子は深い人だけど、孔子を読む人がね、浅いの。
これは本当に致命的。
論語読みの論語知らず、という言葉がありますし。
分かりやすいですからね、分かった気になっちゃう。
儒教は政治に利用できるから流行っちゃった。
政治に利用される時点で、ダメですね。

コメントありがとうございます(^^)
by parana (2014-05-21 21:28) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

暗く深い海100 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。