還(かん)
私の人生に「泣く」ということは稀である。
思えば、小さい頃、母が出て行くときも泣かなかった。
なんでだろ?
思えば、赤ちゃんの頃から泣かない赤ちゃんだったらしい。
死んでるのかな?と母が不安に思うほどに泣かなかったらしい。
しかし、涙はある。
猫を撫でているだけで、ツーっと涙が出る。
自然にツーっと。
この涙は本当に不思議。
なんだろ?これ。
きっと、表面にいる自分と、内面にいる自分があるのだと思う。
内面にいる自分は無意識の中にいると思う。
意識できない。
しかし、なにかに触れると、反応する。
そういえば、滅多に泣かない子供だったのに、神楽を見ると、ダメだった。
今年こそ泣かないぞ、と心に決めていても、泣いてしまって悔しい思いをした。
あれも、きっと無意識の自分だと思う。
無意識の自分はピュアなものに反応する。
この無意識の自分を忘れちゃいけないと思う。
きっと、これが本来の自分だと思うから。
老子がいってる内を大切にせよ、といってることに繋がると思う。
社会生活を送っていると、いつの間にか、内の自分を忘れてしまうと思う。
外の自分で社会生活を送るから。
外の自分とは相対的なものの中に存在する。
内の自分とは絶対的なものの中に存在する。
相対的とは、比べることができるもの、という意味。
割と、夢中になれますよね、競争って。
勝ち負けとか、持ってる、持ってない、とか。
それしか見えなくなっちゃう。
でも、内の自分を満たさないと、幸せになれない。
自殺者が多いのはここだと思う。
いつのまにか、内の自分が消えてしまう。
実は、内の自分はエネルギータンクだと思う。
オギャーって生まれたときが、タンク満タン。
ここが100。
しかし、段々、外の自分に消耗されて、減っていく。
で、0になった地点で、自殺。
絶対的なものに触れなくちゃいけないんだと思う。
比較することのできないもの。
分かりやすいエネルギーバロメーターがある。
「疲れ」である。
この疲れというのは、内の自分の警告だと思う。
エネルギーが減りすぎですよ、という警告。
疲れているのに、眠れない。
本来、動物は、睡眠で体調を整える。
しかしエネルギーが減りすぎると、睡眠すらとれない。
つまり、睡眠自体、エネルギーがいることなのです。
ちゃんと、内の自分は教えてくれる。
エネルギーを補給してください、と教えてくれる。
しかし、補給の仕方までは教えてくれない。
補給の仕方、これは、実は、思い切って外の自分を捨てるしかない。
とても勇気のいることなので出来ないんですけどね。
でも、捨てるしかないわけで。
固くなった殻みたいなものですから。
中から割ってでてこないと。
再生、ですね。
老子のいうエネルギーを大切にしなくちゃいけないと思う。
今、子供達に論語を教える動きには異議があるなぁ。
孔子の教えは社会的なんですよ。
もちろん、社会的生活を送るためには有用だけれど、それは消耗するだけだから。
まず、内側を整えてから、外側だと思う。
子供達には、花をみたり、月をみたり、星をみたり、海やら、空やら、いろんな空気に触れさせることだと思う。
お金が沢山かかる教室に入れるのではなく、無料のお散歩が一番良い。
内のエネルギーがあってこその、外の充実だと思うから。
ニャンコ先生はいつも大切なことを教えてくれる。
ニャンコ先生は、いつかみんな同じところに還るのだと教えてくれる。
それまでは頑張りなさいと教えてくれる。
ニャンコ先生は偉大です。
思えば、小さい頃、母が出て行くときも泣かなかった。
なんでだろ?
思えば、赤ちゃんの頃から泣かない赤ちゃんだったらしい。
死んでるのかな?と母が不安に思うほどに泣かなかったらしい。
しかし、涙はある。
猫を撫でているだけで、ツーっと涙が出る。
自然にツーっと。
この涙は本当に不思議。
なんだろ?これ。
きっと、表面にいる自分と、内面にいる自分があるのだと思う。
内面にいる自分は無意識の中にいると思う。
意識できない。
しかし、なにかに触れると、反応する。
そういえば、滅多に泣かない子供だったのに、神楽を見ると、ダメだった。
今年こそ泣かないぞ、と心に決めていても、泣いてしまって悔しい思いをした。
あれも、きっと無意識の自分だと思う。
無意識の自分はピュアなものに反応する。
この無意識の自分を忘れちゃいけないと思う。
きっと、これが本来の自分だと思うから。
老子がいってる内を大切にせよ、といってることに繋がると思う。
社会生活を送っていると、いつの間にか、内の自分を忘れてしまうと思う。
外の自分で社会生活を送るから。
外の自分とは相対的なものの中に存在する。
内の自分とは絶対的なものの中に存在する。
相対的とは、比べることができるもの、という意味。
割と、夢中になれますよね、競争って。
勝ち負けとか、持ってる、持ってない、とか。
それしか見えなくなっちゃう。
でも、内の自分を満たさないと、幸せになれない。
自殺者が多いのはここだと思う。
いつのまにか、内の自分が消えてしまう。
実は、内の自分はエネルギータンクだと思う。
オギャーって生まれたときが、タンク満タン。
ここが100。
しかし、段々、外の自分に消耗されて、減っていく。
で、0になった地点で、自殺。
絶対的なものに触れなくちゃいけないんだと思う。
比較することのできないもの。
分かりやすいエネルギーバロメーターがある。
「疲れ」である。
この疲れというのは、内の自分の警告だと思う。
エネルギーが減りすぎですよ、という警告。
疲れているのに、眠れない。
本来、動物は、睡眠で体調を整える。
しかしエネルギーが減りすぎると、睡眠すらとれない。
つまり、睡眠自体、エネルギーがいることなのです。
ちゃんと、内の自分は教えてくれる。
エネルギーを補給してください、と教えてくれる。
しかし、補給の仕方までは教えてくれない。
補給の仕方、これは、実は、思い切って外の自分を捨てるしかない。
とても勇気のいることなので出来ないんですけどね。
でも、捨てるしかないわけで。
固くなった殻みたいなものですから。
中から割ってでてこないと。
再生、ですね。
老子のいうエネルギーを大切にしなくちゃいけないと思う。
今、子供達に論語を教える動きには異議があるなぁ。
孔子の教えは社会的なんですよ。
もちろん、社会的生活を送るためには有用だけれど、それは消耗するだけだから。
まず、内側を整えてから、外側だと思う。
子供達には、花をみたり、月をみたり、星をみたり、海やら、空やら、いろんな空気に触れさせることだと思う。
お金が沢山かかる教室に入れるのではなく、無料のお散歩が一番良い。
内のエネルギーがあってこその、外の充実だと思うから。
ニャンコ先生はいつも大切なことを教えてくれる。
ニャンコ先生は、いつかみんな同じところに還るのだと教えてくれる。
それまでは頑張りなさいと教えてくれる。
ニャンコ先生は偉大です。
2017-01-07 12:10
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