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くるくる

もうだいぶん時間も経ったことだし書こうかなっと。

私の勤めている会社の専務さんなのだけど。

私に向かって、

「君も論語くらい読んだら?」と言った。

いつも思うのだけれど、本を読めだの、あーしろ、こーしろ、って他人に言う人って何なの?

私が論語を読んでいないこと前提ですよね?

ってか、論語を読んだから何なの?

それが偉いの?

孔子はね、私には合わないんデスよ。

波長が違うのよ。

簡単に言えば「エラソー」なんです。

「君も論語くらい読んだら?」っていうニュアンスとソックリ。

「はぁぁ??」ってなる。

イエスキリストさんが言ったことと、現在のキリスト教がズレてるように、

孔子の言わんとしていることと、孔子好きな人はズレてるんですよ。

その専務さんなんですけどね、会社のお金をチョロまかして、会社追い出されちゃったんですよ。

たった5万円ですよ。

たった5万円を飲み屋のオネーチャンに良い恰好がしたくて、チョロまかしたんです。

たった5万円くらいで解任って酷いって思われるかもしれないけど、

日頃の言動がエラソーだったから、たった5万円でも、

「日頃偉そうな事ばっかり言っててコレですか?」って事です。

「もう明日から来ないでください。会社の鍵も変えましたから中にも入れません」

そう社長が告げたとき、

「私にも家族がいるんですから、そんな急に言われても・・・」

と青ざめていた。

私はこういう場面は本当に嫌いなので、ずっと顔を下に向けたまま「早く終わらないかな・・」と思っていた。

まぁ、解任されたら、解任されたで、ほうぼうで会社の悪口をまき散らしてくれたわけですが。

何年も前の事だけれど、いまだに無職です。

奥さんが公務員で良かったね。


うん。

私は確信した。

やっぱり孔子はダメだね。

孔子そのものではなく、孔子の教えとやらが、それを学ぶ人にとって、染み込まないんです。

老子よりも断然分かりやすいので、楽だけど、だからこそ、染み込まない。

ちょっと分かったフリをして偉そうにするんです。

だって分かってたら5万円なんてチョロまかさないでしょ?

窃盗ですよ。

しかも、飲み屋のオネーチャンって・・・。

欲望の塊じゃないですか。

孔子先生も脱力ですよ。

分かりやすいものは危険なんです。

分かりにくいものを、考えて、考えて、考えて、それでもなお、分からなくて・・・。

それはとても苦しいから、分かりやすいものに飛びつく。

分かったふりをして、偉くなった気持ちになって、他人を見下す。

そういう人たちを沢山排出した孔子はダメなんです。

人間の浅はかさを見抜いてないから。

人間の着地点を見抜けていない。

本当は良いこと言ってても、それが血となり、肉とならない。

染み込まない。

「巧言令色鮮矣仁」

(コウゲンレイショク、スクナシ、ジン)

分かりやすい。

でも、自分が「巧言令色」になっているって気付かない。

自分以外の他人のことだ、と思っちゃう。

まさか、自分のことだとは思わない。

そこが限界。


地球がね、くるくる回っているんです。

で、その地球はくるくる回りながら、さらに太陽の周りをまわっているんです。

で、太陽は銀河の端っこにあるんです。

で、太陽のような星が銀河には2000億個くらいあるんです。

で、銀河もゆっくり回っているんです。

で、銀河系のようなものが、さらに2000億くらいあるんです。

で、ものすごい加速しながら、どこかに向かっているんです。

どこかに吸い込まれているのかな?

排水溝の中に吸い込まれるように、くるくると回りながら、どこかに吸い込まれているのかな?

そういう想像がつかないエネルギーがあるわけで。

それを神と言うならば、

自分の宗教以外の信者は地獄とか、そんなケツの穴の小さいことは言わない。

アナタ厄年デスネ、お金をくれないと祈祷しませんよ、ご利益もナッシング。

なんて言わない。

道可道、非常道
名可名、非常名
無名天地之始、有名萬物之母
故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼
此兩者同出而異名
同謂之玄
玄之又玄、衆妙之門

道というものが語ることのできるものであれば、それは道ではない。
名づけることができるものであれば、それは名ではない。
天と地は名づけることができないものから始まった。
名づけることができるものは万物の母である。
まことに、
無欲のもののみが、その本質を観ることができる。
欲のあるものは、その結果しかみることができない。
これらは同じものから出てくるが、それにもかかわらず、名がちがう。
これを「玄」(はかることのできないもの)という。
「玄」よりもなおいっそう「玄」のもの。
それは「妙」(はかることのできない本質)の門である。

これが老子第一章ですよ。

ほら。

なんのことやら???ですよね。

でも、脳を揺さぶられません?

ドキドキしません?

ワクワクしません?

何千年も前にコレですわ。

まいっちゃう。

老子ってほんとに素敵。

あの世にいったら、サインもらお~っと。
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アキオ

老子と孔子については、
アキオが常々思ってる、
東洋の王道、西洋の覇道、って感じを受けています。
王としてかくあるべし。
ってのと
覇王としてかくあるべし。
ってのは、似て非なるものと言う感じ。

そして、西洋的なものを世界的によし、としている現在は、
孔子の覇道に通じる道の方が、受けては多いのでしょうね。
わかり易いと言うのもあるし。

アキオは、やっぱり東洋的なモノが馴染むので、
神道の、万物には神が宿る(だから、全てのものは等しく大事なもの)
も、すんなり、普通に受け入れられる。
逆に、アレはただのもので、なんら気に留めるものではない、
とする考えは、人ソノモノにも、どうせ死ぬんだし、大事にする事は
特段重要ではない、と言う事につながるようで、
心理的に受け入れがたい面ががあるんですよねぇ。

老子の第一章の引用も、仏教的に言えば、
色即是空、空即是色、、あなたの見たい様に、あなたの周りは見える、
ゆえに、あなたの心が求めてるものは、真に求めるに値するものか、
と、自省を含め、心のあり方なんですよね、、きっと。

孔子自身も老子を、侮りがたく、捕らえる事かなわず、、
と思ってた様子も今に伝わっておりますので、
やはり、心の度量を広くもつ事の重要度は今も昔も変わらない様に思います。

って、ずれてるコメントですかねw
by アキオ (2013-02-11 01:18) 

parana

アキオさんへ
コメントのつけ辛い私のつぶやきに、いつもありがとうございます。
それだけで、感謝デス。

老子さんが西にいってブッダになった(もしくは、ブッダに教えを授けた)、と言われるくらい、仏教思想と被ってる部分もあります。

仏教もねぇ、日本は「葬式仏教」ですからねぇ。
戒名が50万円とか100万円とか・・・何やってんの?って感じデス。
ブッダも呆れてますよ。
こうやって、有難い教えが、どんな宗教でも、結局「金儲け」の手段になるんです。

なんでこうなっちゃうんでしょうねぇ・・・。
by parana (2013-02-11 15:05) 

マー

孔子も老子も、題材になるような部分しか授業とかで触れただけで、
まぁ、進んでいくと私にとっちゃどちらも穴の深さが解らなるんだけどw
私にとってすんなり分かり易いのは、
死んだ祖父母の「悪い事すると罰があたる」ってことかなw
でもこれだって、
何を「悪」とするかってことだけどね(^_^;)

息子が国語で習っているんだよね。
さらりと教材・題材としてやってるんだけどさ、
私もそん時は思ったんだけど、
「ホントにそういう意味・意図なのかなぁ」と思い思ったのであ~る^_^;


by マー (2013-02-13 23:01) 

parana

マーさんへ
お久しぶりです(^^)
学校は、受験があるから、なんでも一通りサラーっとやっちゃう。
中には感性のスルドイ子がいるから、「お!」って思う子もいるでしょうね。
孔子は頭で考え、老子は心で感じる。
どちらも必要なんだろうな、って思います。
老子は一生モノのテキストですね。
たった5000字の中に、宇宙を詰め込もうとしたのかな。
壮大すぎて、ワケわかんないです。
by parana (2013-02-16 10:28) 

TS

最近このblogに出逢いました。
引き込まれました。

心が穏やかになるというか…
素敵だなって。




by TS (2013-04-04 10:41) 

parana

>TSさんへ
はじめまして(^^)
かなり地味なブログですが、こころを込めて書いてます。
読んでくれて嬉しいです。
ありがとうございます。
by parana (2013-04-06 09:49) 

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