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猫はため息をつかない

寵辱(ちょうじょく)には驚(くる)えるが若(ごと)し。

これ、前にも書きました。

寵愛と屈辱は人を狂ったようにさせる。

ほんと、これ。

何千年経っても、これ。

この強い鎖から解き放たれるのはいつの日か。

ここまでくるとDNAレベルのすり込み。

この結果もたらされるのは、激しい嫉妬。

人間が知性を持つ唯一の動物だと言ってる人、出てこい。

動物以下ですよ、実際。

理性も、知性も、へったくれもない。

激しい嫉妬を見つめられる勇気のある人はいない。

自分の心のヘドロを見つめる勇気のある人はいない。

理不尽な扱いを受ける人の身にもなってくれ。

ほんと迷惑。

ポジティブシンキングなんて、全て口先。

ネガティブじゃないですか、実際。

ポジティブシンキングで行こう、っていう人ほど、ネガティブ。

すごいネガティブ。

でも、勇気がないから、ネガティブを認めることができない。

何千年繰り返すの?


パトラッシュ、僕、もう疲れたよ。なんだかとても眠いんだ。


と、ネガティブなことを吐きました。


いやはや。

にんとも、かんとも。

人間、めんどくさい。

他人の評価に一喜一憂。

メシの種だから仕方ないのかな。


自分の心を整えるために、老子の中でも、一番素敵な詩を書こう。

ちょっと異色なんですよね、老子の中でも。

老子自体、ひょっとしたら、色んな人の書き足しがあるっぽいです。

だから、老子がとっても好きな人が書いた詩が混じったのかな、と思います。


絶学無憂、唯之与阿、相去幾何、
善之与悪、相去何若、人之所畏、不可不畏、
荒兮其未央哉、
衆人煕煕、如享太牢、如春登台、
我獨怕兮其未兆、如嬰児之未孩、
儽儽兮若無所帰、衆人皆有餘、
而我獨若遺、我愚人之心也哉、
沌沌兮、俗人昭昭、
我独若昏、
俗人察察、我独悶悶、
澹兮其若海、飂兮若無止、
衆人皆有以、而我獨頑似鄙、
我独異於人、而貴食母


学を絶たば憂いなからん。

唯(い)と阿(あ)と、相い去ること幾何(いくばく)ぞ。

善と悪と相去ること何若(いかん)。

「人の畏(おそ)るる所は、畏れざるべからず」と、荒兮(こうけい)としてそれ未だ央(きわ)まざらんかな。

衆人は煕煕(きき)として、太牢(たいろう)を享(う)くるが如(ごと)く、春台(はるうてな)に登れるが如し。

我独り怕兮(はくけい)としてそれ未だ兆(ちょう)せざること、嬰児(えいじ)の未だ孩(がい)せざるが如し。

儽儽兮(るいるいけい)として帰(き)する所なきが如し。

衆人はみな余り有り、而(しこ)うして我れは独り遺(うしな)えるが若し。

我れは愚人の心なるかな。

沌沌兮(とんとんけい)たり。

俗人は昭昭(しょうしょう)たり。

我は独り昏(こん)なるがごとし。

俗人は察察(さつさつ)たり、我は独り悶悶(もんもん)たり。

澹兮(たんけい)としてそれ海のごとく、

飂兮(りゅうけい)として止(とど)まるなきがごとし。

衆人みな以(もち)うる有り、しこうして我れは独り頑(がん)にして鄙(ひ)なるににたり。

我れは独り人に異にして、しこうして母に食(やしな)わるることを貴(たっと)ぶ。



長いですね。

どんな意味でしょ?


他人からもたらされる価値観(常識)を捨てたら、わずらうことが無くなる。

「はい」というのと「うん」というのが、どれほどの違いがあるというのだ。

善と悪の違いがどれほどあるというのか。

「他人が恐れていることを、自分も恐れなければならない」というが、そんなことばかりやってたらキリがない。

衆人は嬉々として、生贄(いけにえ)を食べ、春の日に、高台から下を見晴らす。

われひとり、身じろぎもせず、何の兆しも見せず。

まるで、まだ笑うことを知らぬ嬰児のようだ。

ふわふわと、さだまらず、どこにも、くっつかず。

衆人は、余りあるほど所有している。

わたしひとり、からっぽのようだ。

わたしは、愚かにみえるだろう。

わたしは、なまくらにみえるだろう。

俗人は輝いている。

わたしひとり、暗くみえるだろう。

俗人は颯々(さつさつ)としている。

わたしひとり、悶々(もんもん)としている。

荒波にもまれ、吹きすさぶ風にあおられ、とどまれない。

衆人はみんな得意なことがあるようだ。

わたしひとり、他人からみて、得意なことがない。

しかし、わたしひとり、人と異なり、母なる宇宙と一体となることを貴ぶ。


2000年前ですよ、これ。

なんかすごくないですか?

こんな詩を書けるなんて。

まわりが皆、颯々としているときに、自分ひとり悶々といているわけです。

これはどういう事かと言いますと。

まわりは外に向かっているときに、自分だけ、内に向かっているということです。

内に向かうというのは、荒波にもまれ、強風にふかれ、非常にくるしい状況なわけです。

でも、その先にあるのは、宇宙と一体であるという、安らぎですね。

母親の母体の中いるときが、人間は、一番宇宙と一体となっている、というわけです。

このころの記憶は無くなるわけですが、恐らく、人間がもっとも幸せな時です。

ここに還ろうとするのが、老子のいうところの「道」に近い、ということです。

そのためには、内に内に向かうこと。

でも、簡単なようで、簡単ではない。

人間は笹船のような存在です。

くるくると世間に翻弄され、たよりない。

内に向かう勇気なんて、そんなものはない。

ねずみの国に行って、キャーキャー言ってる方が楽ですから。

そして、最初に戻りますが、

他人の寵愛や屈辱に一喜一憂し、嫉妬心で他人を攻撃するのです。

他人からの評価って、他人ですよ?

それが何?

他人が王なの?

自分の王は自分の中にしかいないです。

他人の王に従うよりも、自分の王に従いたい。

王っていうか、神様ですけどね。

その声に耳をすましたい。


世知辛い世の中に暮らしておりますが、他人に振り回される必要はないんです。


われひとり、猫をモフモフたり。

しあわせ、はここですよ。

モフモフたり。

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