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楳図かずおの恐怖漫画的表情

私には同い年のいとこがいる。
性別も一緒。
だから、小さい頃はよく一緒に遊んだ。
しかし、母方のいとこだったので、父と母が離婚してからずっと会ってなかった。

そんなある日。
母から電話。

「パラナちゃん?お母さんだけど。あのね、いとこのチーちゃん覚えてる?
 今ね、パラナちゃんと同じ町に住んでるんだって。
 パラナちゃんの電話番号教えてあげてもいい?
 会いたがってるみたいなの」

「うん、いいよ」

ほぉ~。
チーちゃんかぁ。
懐かしい~。
もうどれだけ会ってないんだろ。
小学生の時以来だもんなぁ、10年は軽く会ってないな。
15年くらい?
うは~、会って分かるかな?
でも、ワクワクする。

私は当時25歳くらいだった。
最後に会ったのが10歳だとしたら、15年会ってない事になる。

そんなこんなで、チーちゃんから電話がかかってきた。
それはもう、久しぶりなのでテンションが上がってしまった。
早速、ご飯を食べに行く約束をした。

約束の日はあいにく雨だった。
傘で顔はよく見えない。
待ち合わせ場所で、他人の傘の中を伺うような事をしながら、ソワソワ立っていた。

「パ・・ラナ・・・ちゃん?」

「チーちゃん?」

キャーーーー!!!!!
お互いの肩をポンポン叩きあいながら、「懐かしいね~~!」の連発。

意外にもすぐにお互いが分かった。
いとこだし、そんなもんかも。
チーちゃんは母方の親戚のおばちゃんに顔がソックリになっていた。
DNAだ!と私は驚いたりもした。

お店の中に入って、アレコレ注文して、乾杯して、やっと少し落ち着いた。
お互い独身OLですよ。
話すことは山盛りあるわけで。
長い年月の空白はすっ飛ばして、「彼氏いるの?」なんて下世話な話で盛り上がった。
そして時間はアっという間に過ぎて、お開きの時間。
会計を済ませ、店の外に出る。

まだ、雨は降り続いていた。

チーちゃんが傘立てをゴソゴソしていた。

「どうしたの?傘見つからないの?」

「う~ん・・・」

「傘、無くなっちゃったの?」

チーちゃんは答えず、傘を一本、一本、引き抜いては戻す、の動作を繰り返していた。

「あ~、これがいい。これにしよ~っと」

(え???)

私は怪訝な顔でチーちゃんを見つめた。

「アタシね、雨が降る度に傘が良くなるんだよぉ~」

(はぁ???)

「傘立ての中の一番良いのに取り替えちゃうんだ」

(ナニイッテルノ???)

「じゃーねー。パラナちゃん、アタシこっちだから。パラナちゃん駅の方でしょ?
 ここでバイバイだね。またね~」

何分くらいそこに立っていたんだろう。
正気を取り戻した時には、彼女はとっくの昔に見えなくなっていた。
私はトボトボと駅の方に向かって歩き出した。
そして、ポロポロと涙が出て止まらなかった。
泣きながら、歩いた。
なんの涙だろう?
怒りとか、悔しさとか、そういうネガティブな涙だった。
そこにポリバケツがあったら蹴飛ばしてしまうような、何かに当たり散らしたくなるような、そんな気持ちが込み上げて、吐き気がした。

何かを踏みにじられた。
すごい大切なものを汚された。
思い出とか?
血のつながりとか?
よく、分からない。

心の中で母親を恨んだ。
あんな電話かけてくるから、こんな事になったんだ。
全く、あの女のやる事にはロクな事がないんだ。
あんな電話出なければよかった。
電話番号なんて教えるんじゃなかった。

全く、方向違いな怒りである。
でも、そうしなければ収まりが付かなかった。

この事を自分の中で風化させる為には数年かかった。
傘の件は誰にも言わなかった。
自分のいとこが傘泥棒なんて、誰にも、しゃべりたくなかった。
もちろん、その後、二度といとこには会ってない。

もうすっかり忘れた頃、母方の親戚に不幸があった。
とてもお世話になった人だったので、葬儀にかけつけた。
広い葬儀場で、パイプ椅子が沢山並んでいて、どこに座っていいのか途方に暮れていたとき、ポンっと背中を叩かれた。

振り返ると、そこに、いとこがいた。
ちょっと考えれば、その葬儀にいとこが来ることは容易に想像できたのに、迂闊な私はすっかり失念していた。
そして、ふと、いとこが抱えているモノを見た。

(ヒィィイイイイイイイ!!!)

私は心の中で絶叫した。
声にならない声というやつ。
恐怖漫画のように引きつった顔をしてしまった。

なぜ、そんなに驚いたのかって?

だって、いとこは赤ちゃんを抱っこしてたんだもん。


先生

およそ教師という人種とは相性が悪い。

だからと言って、反抗するわけではない。
嫌う、とか、反抗する、という関わりすら面倒臭い。

なぜだろう?
きっと、自分の職業を決める時点で「教師になりたい」と思う人種と、自分とではかけ離れているからだと思う。

まぁ、結局「ダメな人間」が好きなんです。
自分もダメだから。
そういうぬるい、というか、ゆるい感じが好き。

そういう意味で、高校1年の時の担任は正直辛い存在だった。
新米でしかも数学教師。
これだけでピンと来る人はピンと来るだろう。
もうね、気持ちは分かるのだけど、カンベンして欲しかった。
生徒を放っておくという「間」が無かった。
生徒を管理しなければ、と力み過ぎていたのだ。
高校1年といえば、16歳ですよ。
管理なんかされなくても「やる人はやる」「やらない人はやらない」。
やらない人は放っておいたらいいんです。
どんな道を選んでもその人の人生なんだし。

しかし、新米教師というのは、私の深海魚のようにユラ~っとした態度が許せないんですよね。
「先生を馬鹿にしてるのか!」みたいな事をよく言われた。
「お前はね、先生方の間でも問題になってるんだぞ!授業中ボケ~っとしてポケットに手を突っ込んで窓の外ばかり見てるって!」

心外だなぁ、ボケ~っとしてるからといって何も考えてない訳ではない。
むしろ、真剣に考え事をしてる時に限ってボケ~っとした顔になるのだ。
授業とは全く関係ないテーマであっても、私の中では真剣なテーマだったりするし。
「嫉妬と焼きもちはどこが違うのか?」という事を延々と考えてたりしたなぁ、あの頃は。
その当時に出した結論は、
「嫉妬は自分の為にするもの。焼きもちは相手の為にするもの」だった。
嫉妬とは自分の見栄とかプライドを保つためにし、焼きもちは相手に対する媚び、というか、サービス精神みたいなものだと思ったから。

本当に授業とは関係ないな。
もっと勉強すればよかった。

そんな私が唯一なついた先生がいた。
その先生は国語の先生だった。
しかめッ面で、ギョロ目で、無愛想で、背も低く、小太りで、真っ黒に日焼けしてて、さしずめ「黒いクマプー」って感じ。
何でなついたんだろ?
教師特有の「押し付けがましい」所が無かったからかも。
先生から「あ~しろ、こ~しろ」みたいな事は一切言われなかった。

先生はいつも一人だった。
職員室に先生の机は無かった。
職員室から離れた校舎に先生の部屋はあった。
なぜだか知らないけど。

桜餅が好きな先生で、ある日桜餅を持っていった。
「はい」って渡すと、すごく戸惑っていた。
ありがとう、なんてセリフは無かったと思う。
でも、後日、「美味かった」と言ったような気がする。

「たけしくんハイ」という本を持っていった事もある。
「面白かったから先生も読んで」と言って渡したと思う。
とても迷惑そうな顔をされた。
後日、本を返してくれた時、
「たけしっちゅーのは悪い奴だな。友達の家を壊したりして」と言っていた。
私はニコニコと「うんうん。そうだねぇ」と言った。

先生は国語の先生ではあったが、野球部の顧問でもあった。
私は野球は全く興味がなかったので、先生が野球部の顧問である事はどーでもいい事だった。

そんな私もやがて高校を卒業した。

ある年、夏、帰省してた時、たまたま付けたテレビで高校野球をやっていた。
地区予選ってやつかな?
試合は既に終わっていて、選手達にテレビの人がインタビューしていた。
よく見ると、私の通った高校ではないか。

「うそ!甲子園?うそ!」

県立、普通科、進学校である。
野球の上手い子を集めた高校ではない。
もちろん、過去に甲子園に出場した事などない。

選手達がインタビューに答えていた。
その選手の一人が晴れやかな笑顔で、こう言った。

「監督を甲子園に連れて行ってやろうと思った!」

テレビカメラの隅っこで下を向いて苦笑いしている先生がそこにいた。

「連れて行ってやる」なんてすごい生意気なセリフだと思われるかもしれない。
でも、そういう事を言える間柄なんだなぁ、きっと。

その年の甲子園球場。
炎天下。
観覧席。
野球のルールすらおぼつかない女がそこに居た。

その女は叫んだ。

「すいませーん。焼きそばとカチ割り氷くださーーい!!」

応援しろよ。


防火

「火事は消火より防火」
という言葉が好きです。

一度火の手が上がると、消火に費やすエネルギーと時間は膨大なものになる。
だから、やっぱり日々の防火が大切よね~、って事。

話は変わって、獅子は千仭の谷に我が子を敢えて突き落とすって話がありますよね?
私、この話、常々「アヤシイ」と思ってます。

実は、父ライオンは「ついうっかり」我が子を突き落としちゃったのではないんですかね?

ある日、母ライオン。

「ちょっとアナタ~、私用事があるから坊やの面倒見てて~」

父ライオンはアクビをしながら「いいよ~~」

父ライオンは子ライオンを連れて近くのライオン公園へ。

ポカポカと暖かい日差し、流れるそよ風。
父ライオンはついウトウト~っと居眠り。

子ライオンは大はしゃぎ。
久々に父ライオンと一緒で嬉しくてたまらない。
「パパ~~~!!見て見て~~~!!」
ジャングルジムの頂上から手を振る。
で、調子に乗ってジャングルジムから派手に落っこちる。

子ライオンの泣き叫ぶ声で目を覚まし、慌てる父ライオン。
急いで我が子に駆け寄ります。
幸い命に別状はない様子。
「ほっ」としつつも、大きなコブを作ってる子ライオンを眺め、

「マズイっ!!!この事が母ライオンに知れたら・・・・」

(アナタ何やってたのよっーーー!!坊やの事ちゃんと見ててって言ったじゃない!!)

青冷める父ライオン。

そこで、父ライオンはひらめくのです。
「そうだ!敢えて試練を与えた事にしておこう!そうしよう!」

と、こんなオチだと思うんです。
つまり、後付けの屁理屈というか。

いや、何が言いたいかと言うと、父親の子育てはこんなもんだよ、と。
どこか抜けてるんです。
細かい配慮が無い。
「ついうっかり」の連続。

でね、きっと母ライオンからの評価は極めて低いわけです。
「全く頼りにならないんだからっ!」とか思われてたり。
父ライオン自身も、やっぱり向いてないのかなぁ・・・と自信を無くしたり。

でも、私、思うんですけど、「だからこそ良い」んじゃないんですかね?

父親に連れて行ってもらった先で子供が怪我をしたとする。
とてもとても痛い思いをしたとする。
そこで、子供が父親を恨むか?
父親のせいで怪我をしたんだ、と怒るか?

子供は父親を恨んだりしない。
むしろ、遊びに連れて行ってくれた事を思い出として胸に抱えると思う。
痛い思いをしても、何度でも一緒に遊びに行きたがると思う。

で、冒頭の、「火事は消火よりも防火」なんですけどね。
結局、日常的に子供と関わっておいた方が、火事は起きにくいよ、って事。
「自分には向いてないから~」って子育てから逃げちゃうと、火事になった時どうしようもなくなるよ、って事。

子供が引き篭もりになったら?
家庭内暴力を振るうようになったら?
傷害の罪で捕まったら?

火事が起きたら鎮火させるのは本当に大変だと思う。
その時慌てて消火活動しても中々火は消えない。

父親が、不器用ながら、子供に沢山かまってあげてる家庭は火災が発生しにくいと思う。

日本中を震撼させる犯罪を起こした少年の手紙に、
「透明な存在のボク」と書いてあったような気がする。

果たして、透明な存在だったのは、少年の父親ではないのか?
父親が家庭内において、「透明」になっていたのではないか?

そんな事をふと思ったりしました。

仕事、仕事、と言って、子育てから逃げたら後が大変だと思うなぁ、私。
日常の「防火」こそ、大切なのですよ、きっと。

お父さん族の方へ、

          思春期はあったけど、反抗期はなかった娘より。


働いていた頃の話。

社長はとても教えるのが上手い人だった。
基礎っぽい所から教えてくれるし。

「やっぱり頭の良い人は教えるのも上手いなぁ」と感心した。

で、ある日、社長に向かってこう言った。

「シャチョーの娘さんは塾に行く必要がないね。シャチョーが教えればいいんだし」

その時、社長はビクっというか、ギクっというか、微妙な態度を取りながら、言い難そうに答えた。

「それが・・・そうでもないんだよねぇ・・・」

「なんでですか?」

「親はね、子供の勉強を見ちゃいけないんだよ・・・」

「え?」

「やっぱり自分の子供だとついカーっとなっちゃうんだよね・・・」

「は?」

「なんでこんな問題もできないの?って思うと、つい、ね・・・」

「はぁ」

「『お前みたいなバカな子はうちの家系にはいないぞ!!』って言っちゃって・・・」

「げぇぇ!!」

「つい、ポロっと・・・」

「だって、うちの家系にはいないって、それって結局、奥さんの家系って事になるんじゃないの?」

「うん・・・」

「で?どうなったんですか?」

「うん・・・ムスメはもう口聞いてくれないんだよね・・・」

「奥さんは?」

「うん・・・ひょっとして熟年離婚とかされたりして・・・」

「それは早目に謝った方がいいと思います・・・」

なんだか、塾の話からエライ方向に話が飛んでしまった。

ある種の親は、子供に優秀さを押し付けると思う。
で、当然、それは拒絶される。(当たり前)

本屋に行くと、最近思うんですよねぇ。
「IQ200の子供にする」とか、「天才を育てる」とか、そんな感じの表紙の子育て本があるじゃないですか。
売れてるんですかね?こういう本。
なんだかムカムカするんですよね。
子供だって人権があるんですよ。
子供の人権って、無条件に親に愛される事だと思う。
「バカでもアホでも可愛いくてたまらない!」って感じで。
これらの本はそういう基本的な人権を無視してるなぁ、って思う。
もちろん、シャレというか軽いノリで読んでるって人もいるかもしれない。
でも、心の底にあるのは、ドロドロしてるんじゃないの?って思う。

私の父が、生前、ある写真を見てウンウン唸っていた。
それは私が友達と写っている写真だった。
二人ともニコニコとピースサインをしてる写真。

「どうしたの?」と聞くと、父は写真の中の友達を指差して、

「うん・・・この子のね、表情がちょっと暗いっていうか・・・なんか、こう・・・」

「そぉ?」

「うん。こうパーっとした明るさが無いっていうか、もうちょっと、こうパーっとね・・・」

よく分からないけど、そう言われてみると、なんとなく目の表情が暗いかなぁ、と。

果たして、この友達の親は、私の父のようにこの写真を見ただろうか?
自分の子供がどういう表情をしているのか注意を払っていただろうか?

数字で簡単に分かるものに子育ての優劣を判断させちゃダメだと思う。
偏差値とかさ、IQとかさ。
別に親として優秀でもなんでもないよね、そういうのは。

やっぱりね、子供の表情の微妙な変化に気付けるかどうかじゃないの?
そういう事が分かる親が優秀だと思うなぁ、私。


諦観

ある日、ある時、ある女のコがいた。

23歳?24?そのくらい。
とても可愛い容姿をしていた。
生まれつき舌が短いのか、話し方が舌っ足らずで、そんな様子を好ましく思う男性も多かった。
性格も社交的で友人知人も多かった。
華がある、というのだろうか、なんとなく中心的な人物になるタイプ。
プライドもとても高い。

何の問題もないコ。
誰もがそう思うであろうコ。

しかし、そのコは他人の幸福が何よりも呪わしいと思うコだったのだ。
自分のすぐ側で、幸福に浮かれている人間がいるとイライライライラしてしまう。
まぁ、幸福というのは、早い話、恋愛系の事。
そのコは、本当に、周到に、ソーっとその幸福を壊しにかかるのだ。
可愛い容姿、舌っ足らずなしゃべり方、頭の回転も速い、そんなコにかかれば、普通の男性はチョロイ。
赤子の手を捻る、という言葉があるが、まさにそんな感じ。

正直、私にはどうでもいい事。
恋愛で「盗ったの、盗られたの」って誰が悪い訳でもないし。
ついフラフラーっとなる男が悪いのだ。
もちろん、それがそのコの作戦だとしても、だ。

頭の良い彼女は悪者にならない。
「私にはそんな気がないのに、なぜ彼は私の事好きになったのかしら?」
自分から直接仕掛けた訳ではないので、そういう言い訳は充分成り立つ。
彼の心を奪われた方の女性はどうしようもない。
ただただ不幸に打ちひしがれるのだ。
そして、そのコはそんな女友達を慰めるのだ。
「大丈夫。彼はきっと○○ちゃんの事好きだって。気のせいだよ~」
加害者のようで加害者でない。

「悪質だなぁ」
私は、心の中でそう思った。

私には本当に関係ないけれど、身近な人間がその攻撃に遭い泣いていると何とかしたくなるのも人情。
つい、いらぬおせっかいを焼いてしまった。

私はその女のコに電話をかけた。

「あんまり、ムゴイ事しなさんな」

彼女はすぐに激昂した。

「私が何したって言うのよ!!私、全然悪くないし!!」

「うん。分かってるよ。別にアンタが悪いって訳でもないよ」

「・・・・」

「もうさ、いいじゃん、あんまり○○(私の知人)の事かまいなさんな」

「アナタにはカンケー無いじゃないですか!!」

「うん。私には本当にカンケーないけどさ、でも、やっぱり目の前で泣かれると、ねぇ?」

「・・・・」

「やっぱ可哀想だし。見てらんないし」

「・・・・」

「なんちゅーか、これはお願い、みたいなモンだから」

「・・・・」

ちょっと間をおいて、そのコは叫ぶような大声を出した。

「ワタシは両親に捨てられたコなんです!!!」

正直、ビビった。
声を発する事もできずにいると、

「小さい頃お母さんが出ていって、お父さんは再婚しちゃって、だからワタシは親に捨てられたんです!!!」
「ワタシの事なんて誰も心配してくれない!!!」
「誰も、誰も、心配なんかしてくれない!!!」

ワーワー泣き出す彼女。

「○○ちゃん・・・うらやましい。だってこんな電話してきてくれる人いて・・・」
「ワタシが同じ目に合っても、誰もこんな事してくれない・・・」

スンスン泣き続ける彼女。

すごい展開にただただ唖然とする私。

しばらくして、私は、ボソっとつぶやくように、
「捨てられてないよ」と言った。

そのコは素直に、
「はい」と言った。

「誰も、捨ててないから」

「はい」

「心配だってするし」

「はい」

「自分のこと、大切にしなくちゃだめだよ」

「はい」

「じゃぁ、これで電話切るけど・・・」

「はい。ほんと、ありがとうございました」

ガチャ。(電話を切った)

全く、何の電話か分からなくなってしまった。
今、こうして思い出しながら書いても、なんでこんな展開になったのか不思議だ。

しかし、この話を思い出す度に、両親の離婚、再婚を「捨てられた」と感じる子供って結構いるかもしれないなぁ、と思って切なくなる。
きっと親に聞いてもね、「捨てた」なんて絶対に言わないと思うけど。
でも、そういう事が問題ではなくて、子供が「捨てられた」と感じながら生き続ける事が問題だと思う。

大いなる欠乏感。
心の底の底に沈殿し堆積する想い。

でもさ、捨てられたとか、そんな事どうだっていいじゃん、って思う。
親には親の事情ってモンがあるし。
縁が無かったというか、運が無かったというか、廻り合わせが悪かったというか。
そういうのってどうしようもない。
私だって両親の仲が良い家庭で育ちたかったなぁって思う。
でも、こればっかりはどうしようもない。
世の中は自分の思い通りにはならないのだ。

諦めるという言葉は「明らかに極める」という意味らしい。
本当かどうかは知らないけど。
でも、前向きな響きでとても良いと思う。

明らかに極めろっ!
ワハハ。


押忍!

「体育会系」という言葉がある。
意味としては、上下関係が厳しいとかそんな感じ。

あれは中学生の頃だった。
友人のMちゃんはバレーボールがとても上手で、1年の頃からレギュラーだったような気がする。
市内で優勝するチームだからそれはとてもすごい事だと思う。
私はよく体育館でネット越しにMちゃんの練習風景を眺めたりしていた。

バレーボール部というのは部員がとても多い。
いや、強い学校だったからかもしれない。
普通はどうなんだろう?

1年生の頃にドドドーって部員が集まって、2年、3年と進級するうちにどんどん減っていくパターン。
練習が厳しいですからねぇ。

そんな風景をボケーっと眺めつつ、ある事が気になった。

同じ学年にUさんという人がいた。
UさんもMちゃんと同じバレー部だった。
Uさんはレギュラーではない。
補欠だ。

あれは私達が3年生になった頃。
Uさんはやたら後輩に厳しい人で、何かあると後輩を呼びつけてあれやこれやとキツイ事を言っていた。
大抵、それらはバレーボールとは直接関係ない事柄だった。
まぁ、挨拶がどうのとか、態度がどうの、とか、そういう感じ。

ある日、私はMちゃんにつぶやいた。

「あのさぁ、Uさんってさぁ、後輩にキツクない?」

Mちゃんはハァ~っとため息をついて言った。

「あの人ね、暇なんだよ」

このMちゃんの「暇なんだよ」というセリフはとても印象に残った。

「くだらない事やってる暇があるなら練習すればいいのに」

Mちゃんはキッパリと言い切った。
さすが1年の頃からレギュラーの人はいう事がすごい。

で、振り返って考えてみると、確かに主力メンバーの人達は、後輩達の挨拶がどうの、言葉遣いがどうの、態度がどうの、ってな事にはかまってない。
そんな事にかまう暇があるなら練習した方が良いと思っているからだろう、きっと。
だってさ、廊下ですれ違った時に、頭を下げなかったとかそういう事を注意してもバレーボールは上手くならないもんね。

では、「体育会系」といわれる雰囲気は誰が作っているのか?
それは、補欠の人達なのかもしれない。
主力の人達ではなく、補欠の人達。
「体育会系って嫌だね~~~」ってセリフはよく聞くけど、本当に真剣にやってる人達が作っている雰囲気ではないとするのならば、非常に迷惑な話だろうなぁ。
自分達の預かり知らぬ所で勝手にイメージされて嫌がられたりして。

いや、何が言いたいのかっていうと、
「体育会系」というのは真剣に体育をやっている人達が作った雰囲気ではないのかもしれないなぁ、って事。

そして、何も「体育」に限った話では無いという事。

補欠な人達はいつでも暇で、主力になる努力は放棄して、他人の言動にいちいち五月蝿いのだ。

あ、でも、この場合の「補欠」というのは「本来の目的を見失った人達」という意味です。
本当に補欠だった人が気にしてはいけないので念のため。


終わった~~~

昨日は試験でした。
結果から先に言えば不合格なのですが、自分では自己ベストの点数だったので良しとしています。
しかし、こんなに早く不合格が分かってしまう試験って一体・・・。
昨日の夜は「解答速報」をネットで見て、ちょっと泣けたり、でもまたガンバローと思ったり。

思えば6月の終わり頃の第一回の模擬試験で「なんじゃこりゃ」な点数を取って以来、
インターネッツをするのは避けておりました。
もちろん、ネトゲも。
しかしね、6月の終わりから焦っても遅いっちゅーねん、自分。
7月の終わりの模擬試験では、第一回目よりも悪い点数でビックリ。
スンスン鼻をすすりながら勉強しました。
この2ヶ月全力を尽くしました。多分。
いやぁ、それでも甘くないね、国家試験。
めげずに、また来年も受験したいと思います。

って事で、無職な生活は続くよどこまでも。

昨日は久々にネトゲをして、ネトゲフレンズから「ニート、ニート」とからかわれました。
いやぁ、全く、容赦のない連中ですね。
でもね、彼らのレベルそんなに上がってないんですよ。
レベル差がつくと一緒にモンスターを倒せないですからね。
待っててくれたっぽい。
その優しさに感謝。
って、FFXIを知らない人には全く分からない事書いてしもうた。

ここに記念として書き込んでおきます。

平成18年度(第38回)社会保険労務士試験

選択式試験問題(各5点満点)

労働基準法及び労働安全衛生法  4点
労働者災害補償保険法      4点
雇用保険法           5点
労務管理その他に関する一般常識 2点(←致命傷)
社会保険に関する一般常識    3点
健康保険法           4点
厚生年金保険法         4点
国民年金法           5点
             計 31点

択一式試験問題(各10点満点)

労働基準法及び労働安全衛生法  5点
労働者災害補償保険法      8点
雇用保険法           5点
労務管理その他労働及び社会保険に関する一般常識 5点
健康保険法           7点
厚生年金保険法         5点
国民年金法           4点
             計 39点

            総計 70点

来年は合格したいにゃ~。

PS:チサトさんへ ブログ閉鎖なされたのですか?
   今、いってみたけど「ページが見つかりません」って出ますです。
   なんだか、大事なタイミングを逃したみたいですみません。


ばぶぅ~2

私は恋愛関係の話を聞くのが大好きだ。
他人事ながらドキドキするし。

あれは20代前半の頃。
その頃友人だった人の家に遊びに行った。
(友人だった、と過去形なのはその後縁が切れたから)

友人は女性。同じ年。
もちろん、話は恋愛系。
当然、盛り上がる・・・はずだった。

その時、そのコが熱中している恋愛は不倫だったのだ。
私は他人の倫理観にどうのこうの言うのは好きではないので黙って話を聞いた。

「彼の好物って、タコさんウィンナーなんだよ~、あの赤い色のウィンナーね」

「ふむ」

「でね、彼の奥さんったら、赤いウィンナーは体に悪いからダメって言うらしいの」

「ふむふむ」

「だから、アタシがこないだ作ってあげたんだ~、タコさんウィンナー。彼すっごい喜んじゃって~。奥さんもさ~、それくらい作ってあげればいいのにね~。彼が可哀想~」

「・・・・」

ウィンナーくらい自分で買ってきて焼けよ!
って思うけど、そういう意味じゃ~ないんだよね、こういうのは。

「サービスの提供」の問題なんだよね。

その男性にとって、タコさんウィンナーを作ってもらうのが嬉しいわけで、自分で作っちゃ~意味が無いんだよね。

こういうね、サービスの提供で愛情を計る男って結構多いなぁ。

結婚して、子供ができたら、サービスもヘチマもないと思うんだけどね、実際。
奥さんも忙しいっちゅーの。
赤いウィンナーだって体に悪そうだし、健康を考えてるからこそ、だと思う。

だいたい、「うちの奥さんタコさんウィンナーを作ってくれないんだよぅ」って男、気持ち悪い。
そういう事を言いながら、奥さんの洗ってくれたパンツや靴下を履いてたり、奥さんがアイロンかけてくれたYシャツやハンカチを持ってたりするんじゃないかなぁ。
もう、それだけで、充分なサービスは受けていると思う。

こういう男は「赤ちゃん男」だと思う。
誰かにかまってもらう事で喜びを感じるタイプ。

友人もね、そういう所をちゃんと見れば、その男が可哀想でもなんでもないって事に気付けたと思うんだけど、そういう冷静さは無いわけで。
もっと悪い事に、友人は奥さんに対抗意識を燃やしていた。
そして、タコさんウィンナーを作った事で勝った気になっていたのだ。
恋愛に第三者を加えて勝ち負けを争う事ほど愚かな事はないと思うのだけれど。
第一、不健康だよね。

健康的な私は、さっさと彼女の家を後にした。

それから、数ヶ月して。
私は全く別の経由で、彼女の不倫の結末を聞いた。
浮気に気付いた奥さんが彼女の住んでいるアパートに乗り込んだのだ。
乗り込んだ、という表現は正確ではない。
彼女は玄関の鍵を開けなかったから。
怒った奥さんはエレベーターの側に置いてあった消火器を手に取り、彼女のアパートのドアを破壊しようとした。
集合住宅ですからね、ものすごい音が響き渡ったはず。
そして、ドアはボコボコ。
奥様の怒りに恐れをなした男は奥様の元に戻ったという結末。

この話は友人から聞いたわけではない。
プライドの高い彼女は誰にもこの出来事は話さなかった。
では、なぜ、この顛末を私が知る事になったのか?

答えは簡単だ、その不倫相手の男が話したのだ。
会社の同僚に話した話がパーっと広まったのだ。
本当に酷い男だ。

しかしね、一番の被害者は、こういう男に育てられる子供だろうなぁ。
赤ちゃんな男に子育てなどできるだろうか?
自立した大人を育てられるのだろうか?

この男の子供がニートになっても納得だ。
だって、父親が自立してないんだもん。


ばぶぅ~

親元を離れ、一人暮らしをしながら働いていた時のこと。

夜遅くに帰宅し、郵便受けを覗くと「ご不在連絡票」が入っていた。
差出人を見ると母親。
品物の欄には「ナマモノ」と書いてある。

(はぁ~~~~・・・・)

大きなため息が出る。

母親という生き物はどうしてこう一方的なのだろう?
こちらは宅配便は受け取れるような時間には帰宅しないのに。

私は宅配便を受け取るためだけに、翌日は早く仕事を切り上げなければならなくなるのだ。

(イライライライラ)

翌日、早目に帰宅する。
ご不在連絡票を見て電話する。
荷物を受け取る。

ダンボールを開けると、果物やらお菓子やら日用品やらがギッシリ。

(ムカムカムカムカ)

電話が鳴る。
受話器を取る。
相手は母親。

「あ。パラナちゃーん。荷物届いた~?」

(ドッカーーーン!)

「もうね、何度も言ってるけど、宅配便送るの止めてよね!」

「だって~、美味しそうな葡萄が売ってて~・・・・」

「あのね、こっちにも葡萄は売ってるの!いちいち送って来なくていいの!」

「え~・・でもほらっ、雑巾も縫って入れておいたから、雑巾とか縫わないでしょ?」

「雑巾も要らないよ!アンタ毎回雑巾入れてるじゃん!!」

「んも~、お母さんせっかくパラナちゃんのために~・・・」

「要らないってば、要らないの!もう送ってこないでね!迷惑なんだから!」

(ガチャン!)

ふぅ・・・。
私だってね、母親に酷い事言いたくないんですよ。
ありがとう、の一言だって言ってあげたいですよ。
でもね、本当に腹が立つんですよ。
だって、数ヶ月したらまた同じような荷物が届くんだなぁ、これが。
「要らない」って日本語が理解して頂けないみたい。

でね、何が言いたいかと言うと。
父親から宅配便が送られてきた事は一度もないってこと。
10年以上一人暮らしをしていて一度も無かった。
これは特筆すべき事だと思う。
父親という生き物は客観的に物事が見れるから、そこら辺のスーパーで売っているものをダンボールに入れてよこすという愚を犯さないのだ。
宅配便を受け取る事だって大変なのだという事を分かってくれてたのかもしれない。

子育ての主体は大抵が母親だと思うけれど、私は父親の方が子育てには向いていると常々思っている。
母親はどうしても子供をいつまでも「子供」だと思っていたい生き物なのではなかろうか?
子供のために宅配便を送っているというよりも、母親自身のため、という気がした。
ダンボールにあれこれ詰め込みながら、子供の事を想っているのだ。
そういう行為そのものは母親としての気持ちを安定させるのかもしれない。

でもね、子供はやがて大人にならなければいけないわけです。
腹が減ったら自分で食べ物を調達せねばならんわけです。
風邪をひいたら自分で薬を飲まねばならんわけです。
いや、社会人になったら風邪なんてひいてる暇なんかないんです。
常に健康を維持する責務があるんです。
だから、自分で栄養バランスを考えたりするんです。

子供がいつまでも「子供」だったら生きていけないんですよ。

女性は細やかな気配りが上手い、とよく言われますが、大抵それは相手を子供扱いしているに過ぎない行為が多い。
私は気配り上手と呼ばれる種類の女性が苦手だ。
そして、気配り上手な女性が好きだという男性も苦手だ。

「赤ちゃんじゃないんだから」と心の中でいつも思っている。

赤ちゃんプレイに興じるのは止めた方がいい。
世の中が赤ちゃんだらけになっちゃうからね。

そして、お父さん族に言いたい。

「自分の子供をニートにしたくなければ、子育てに主体的に関わった方がいいよ」

バブー!!(いくらちゃん的お願い)


波長

あれは何年前のことだろう。
私が27歳くらいの頃かな。

私は近所の公園に犬を連れて散歩に出かけた。
近所の公園と言っても、県営の大きな公園で球技場なんかを備えている公園だ。

季節は、多分、春か秋。
つまり、気持ちの良い季節。
休日だったせいか親子連れも多く、アチコチでレジャーシートを広げてくつろいでいる家族をみかけた。

いつものコースを散歩して、いつものように、グラウンドを見下ろす様にグルっと取り囲まれている芝生の上に腰を下ろした。
しばらくボケーっとグラウンドの方を眺めていたら、どこからか視線を感じた。
左斜め下の方にいる少年がチラチラとこちらを見ている。
少年の視線の先は私の連れている犬だ。
きっと犬が好きなのだろう。
それにしても、控え目な少年だ。
普通、「わー!犬!さわらせてー!」などと言う子の方が多いから。

私はそっとリードを離した。
犬はフンフンを草の匂いを嗅ぎながら少年の方に向かった。
どんどん少年の方に近付く。
少年は嬉しそうに「おいで、おいで」をした。
犬は尻尾を振って少年の側に寄った。
しばらく犬の頭を撫でたりしていた少年はリードを持って犬を連れて来てくれた。

「ありがとう」と私はお礼を言った。

少年は私の左横にちょこんと座った。
体育座りで並ぶ二人。
しばらく無言で座っていた。

そのうち、少年がポツリ、ポツリとしゃべりはじめた。

「今日さー、お父さんがここに連れてきてくれたんだー。お父さん今日仕事休みになったから。それで妹と一緒に来たんだー」

「ふーん」

「あれ、いもうとー」
少年が指を指す。

「あれ、お父さん」
その子の父親は、芝生の上にゴロンと横になって、帽子を顔に被せて寝ている。

「ふーん」

気の無い返事を返す私。
子供と話すのは苦手だ。
いや、大人と話すのも苦手だけど。

「あのさー、お母さんってさー、いつまで要るの?大人になったら要らない?」

なっ!!!
突然何を聞くのだ?

でも、瞬時に少年の質問を理解する私。
だって、私も同じ質問を何度も何度も心の中で繰り返したから。

子供社会というのは非常に狭い。
そして、そこにおいて、母親がいないというのはとても目立つのだ。
学校の行事というものは大抵母親が来るものだ。
いや、学校の行事だけでなく、地域の行事でも、子供会でも、普通母親が主体だ。
父親が来る家庭はあんまり無い。
その中で、母親がいないというのは非常に少数派になってしまう。

「母親さえいればなー、こんなに悩まなくて済むのになー」
「大人になれば母親がいない事で悩まなくて済むのかなー」
って何度思った事か知れない。

家の中はいいのだ。
父親との生活にも慣れ、それが当たり前の風景になるから、母親がいなくてもあまり困らない。
しかし、一歩玄関を出ると、子供には母親の存在が必要なのだ。
と、いうか、母親の存在を求められてしまう。

「お母さんはどこにいるの?」などと聞かれる事は本当に多かった。

「いません」って答える度に心が痛くなった。

少年もきっと何度も「お母さんはいません」と答えただろう。
そして「一体この質問はいつまで続くのだろう?」と途方に暮れているのかもしれない。

少年は続けた。
「うちさー、お父さんとお母さんが離婚してー、お母さんが出ていっちゃったんだー」

やっぱりそうか。
なんとなく、少年の様子がそのくらいの年齢の男の子よりも寂し気だったので、そうじゃないかな、と感じていたのだ。

行楽日和。
周りはレジャーシートを広げてお弁当を食べている家族連れの人達。

そんな中、体育座りの少年と私は同じ種族だった。
同類ってやつ。

私は答えた。

「お母さんってさ、要るとか、要らないとか、そういうもんじゃないけどさ、大人になったら楽になるよ、きっとね」

私は立ち上がって、お尻についた芝生をパンパンして、
「じゃ、行くね。ばいばい」と言って犬を連れて立ち去った。

少年が納得したかどうかは分からない。

それにしても・・・。

なんで私に母親がいない事が分かったのだ?
たまたま?
偶然?

不思議ぃ~。


正義の味方

正義の味方、というものが存在するのならば、我が町内に限り、それは「おじいちゃん」達だ。
近頃の老人は結構元気なので「おじいちゃん」などと言ったら失礼かもしれない。
要するに、リタイアメントをしている人達です。
シルバー世代っていうのかな?

彼らは、揃いの蛍光色のジャンパーを着て、下校時の小学生達に付き添ってお家まで送り届ける。

「家まで後100メートルってとこが危ないのよ」

と言って、ちゃんと自宅前まで送るのです。

警察に行って防犯講習まで受けたりもして。

送り届けるだけではない。
「防犯パトロール中」などと書いた大きなステッカーを車に貼って町内をグルグルしてたりもする。
車の無い人は自転車で巡回している。
前カゴに「防犯パトロール中」と書いたプレートを下げてキコキコ漕いでる。

お孫さんがいるわけではない。
全くの赤の他人の子供達のために頑張っている。
もちろん、無償で。
ガソリン代も出ないのに。

小さい頃、正義の味方というのは、強く、逞しい若い男の人だと思っていた。
テレビの影響というやつです。
でも、現実は年金生活のおじいちゃん達なんだなぁ、これが。

平和な町内だと思っていたけども、実は、お子さんに抱きついたりする変態が多いとの事。
世の中、病んでるね。

もうね、子供に危害を加えるヤツなんて死刑でいいんだよ、死刑で。
刑務所に入れたって、出てきたらまたやるんだし。
税金の無駄。

今の時代、秘密基地なんて作れないんじゃないかなぁ。
「家出したらここに来ようね」なんてマンガを隠したり。
そういう事が出来ない時代になっちゃったね。

ご町内の平和を守るべく、シルバーマン達は今日も行く。
行け行けシルバーマン!
がんばれシルバーマン!

「息子夫婦が同居してくれないんだよ・・・」
「どうせね、最後は病院よ、病院・・・」
「老人ホームに入れられて終わり・・・」

正義の味方も大変なんだね・・・。


甘え袋

今、振り返っても、私は父によく可愛がってもらったなぁ、と思う。
可愛がってもらったと言っても、あんまり物を買ってもらった記憶はない。
いや、それなりに買ってもらったのだろうけど、印象が薄い。
印象に残っているのは物ではなく、言葉だ。

例えば、テレビでニュースを見ている時に、若いお嬢さんが殺されたというニュースを見ると、

「お父さんね、もしもパラナちゃんが殺されたら、お父さんも死んじゃうなぁ、パラナちゃんが死んでお父さんが生きてたってちっとも面白くないもん」

などと言ったり、

「こんな酷い事しても死刑になんないんだねぇ。でもいいや、お父さんだったら、この手で犯人殺しちゃうもん。それで刑務所入っても全然後悔しないし」

などと言うのだ。

私はただ「ふ~~~ん」と気の無い返事しかしなかった。
だって、正直鬱陶しいでしょ?
「またいつものセリフだよ」くらいしか思わないし。

でも、こういうのって後からジワジワくるんですよ。
親が死ぬと親の事思い出すでしょ?
そういう時に、なぜか、こういうセリフを思い出しちゃうんですよね。
聞いてないような素振りをしていても、やっぱりしっかり聞いてるんですよね、娘って。

思春期の娘とか、年頃の娘とか、そういう難しい年頃の娘を持つお父さん族って大変だろうなぁって思う。
何を話し掛けても「鬱陶しいなぁ」って態度取られちゃうし。
そんな娘の態度に腹が立つ事もあるかもしれない。

でも、聞いてないようで、聞いてるわけです、娘は。

娘って、年頃になると父親に甘えるのも気持ち悪いし、甘え下手になると思う。
でもそういう父親の鬱陶しいセリフの一つ一つを「ふ~~ん」と聞き流すフリをするのも父親に対する「甘え」の変形バージョンなんじゃないかなぁって思う。
つまり、無視という態度の甘えというか。

実は、最近、「甘え袋」ってのがあるんじゃないかなぁって思うんですよ。
親に甘える度にその袋の中に何かが溜まっていくようなイメージ。
それがパンパンに満タンになると大人になれるというか。

でね、親に甘え足りてない人って結構いるよなぁ、って。
そういう人はどこか優しくないんですよ。
他人に対して優しくない。
もちろん、自分の親に対しても優しくない。
でも、「かまって!」というオーラはすごい。
私はこれを「ネガティブカマッテちゃん」と心の中で命名してるんですけども。
人に意地悪を言ったり、傷付くような事を言って注目を引こうとするタイプは大抵が「ネガティブカマッテちゃん」なわけで、そういう人は親に甘え足りてないんじゃないかなぁっていう気がね、最近するんです。

親に甘える事が下手な子供って沢山いると思うけど、親はそれでも、見捨てる事なく、子供が聞いてないフリをしていても、「大切に思ってるから」っていう言葉を発信し続ける事が必要なのかもしれないなぁ。
そして、いつか「甘え袋」が満タンになったときに、きっとその子供は大人の分別ってのを身につけるのではなかろうか。

物を買い与える事で甘えを満たしてあげるのはダメだと思う。
父親族がよく陥る罠なんですけども。
「パパありがとう♪」って笑顔に騙されやすいというか。
でも、これを頻繁にやっちゃうと、子供が「乞食」になってしまうんですよね。
あれ?乞食って言葉OKだっけ?
禁止用語?
ま、いっか。
甘えれば何かを買ってもらえる、もしくは、買って欲しい物があるから甘える、っていう行動を習慣化させちゃうと、愛情を物で計るようになっちゃうから。
これはね、「乞食」ですよ。
欲しい物は自ら労働して稼いで買う、ってのが真っ当な道ですからね。
子供を乞食にしてはイカン。

あくまでも言葉が良いと思う。
なんてったって、言葉はタダですよ!タダ!
スマイル0円なんてメニューのあるハンバーガー屋もあるけども、言葉だって0円です。

かなーりお得。(笑)


お布施ビンボー4

そもそも、親友がなぜ新興宗教にハマってしまったのかと言えば、
「幸せになりたいから」
なワケですが、その内訳は、
「良い人と結婚したい」
という事なのです。

で、彼女曰く、
「私は男を見る目が無いから・・・自分で選ぶと変な人を選ぶから・・・」とのこと。

つまり、「先生(教祖)」に選んでもらった方が幸せになれる、と言うのだ。

う~~~む。

まぁ、確かに彼女が付き合う男というのは、なんというか、その・・・、
ドメスティックバイオレンス的な人だったりもするわけで。
ちょっとした暴力といいますか、暴言といいますか、そういう感じ。

「こないだね、彼が靴下を脱いで私の方に放り投げたの」

「うんうん」

「わ、汚い、とか思って、それをつまんで横にどけたの」

「うんうん」

「そしたら、すごい怒って、『ちゃんとたため!』とか言うの」

「は?」

「も~、頭くるよね~」

「そりゃそうだ。で?どうしたの?」

「うん。もう渋々たたんだよ。ホント腹立つ~」

「・・・・・」

こんな状態が続き、そのうち暴力に発展していったわけです。
彼女が別れを切り出すとすごく怒る(=暴言とか暴力)ので別れる事も難しくなってしまって、とにかく私は、彼女を私の家にかくまった。
2ヶ月?確かそのくらい。

で、彼女の場合、こういう感じの事が割と多く発生しがちなわけです。
暴力でなければ浮気、とか。

だから、男性と付き合う前に「先生」にお伺いをたてて、先生が、
「その男はダメです。止めておきなさい」
と言えば、
「あ~よかった、先生に聞いて」
となるのです。

彼女的には「先生が危機から救ってくれた」となり、感謝し、ますますお布施ビンボーになってしまうわけです。

で、ですよ。
彼女は本当に男を見る目がないのか?って事なんですけども、それは違うんじゃないかな~って思うのです。
付き合う前に大体こんな感じっていうのは掴めても、実際、付き合ってみないと分からない事って多いと思う。
そういう中で、「あ、ちょっと違うなぁ」と思ったらすぐに別れれば良いだけの話なのですが、そこで、合わないって事に薄々気付いているのにズルズル付き合ってしまうから合わない部分が強調されてしまうのではなかろうか、と。
引き返す勇気?みたいなモノが足りないだけで、「男を見る目がない」ってワケじゃないと思うのだ。

例えば、もし私が恋人から汚れた靴下を放り投げられ、「たため!」と命じられたとしたら、クルクルっと丸めて、相手の顔めがけて思いっきり投げつけると思う。
いや、無理矢理口に押し込んで「食え!食って反省しろ!」などと言ってしまうかも。
それよりも、なによりも、サッサと別れてしまうだろうけど。

とにかく、「先生(教祖)」は必要ない。

しかし、なにが悲しいって、神の声が聞こえるとか、守護霊が見えるとか、なんとか言うような人がスゴイって言われる事。

なんでスゴイの?
そういう事のどこら辺がスゴイの?

私は自分の飼っている犬の方がよほどスゴイと思うよ、いつも。
犬は、「散歩、エサ、かまって」しか欲求がないもん。

いや、犬に限らず、人間以外の動物の方が偉いよ、ほんと。
ミミズなんてスゴイよ、土を良くしてくれるもん。
ミミズ様って思うもん。
(土の中からピョコって出てくるといまだにビビっちゃうけども(←ヘタレ))

お布施なんて欲しがる人はミミズ様以下だ。
私はそう思う。


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お布施ビンボー3

中学生の頃、中2くらいかな、そのくらい。
私の目の前に小さな紙が差し出された。
メモ用紙みたいな白い紙。

「はい。パラナちゃんもこれ書いて」

「なにこれ?」

「今ね、みんなで○○さんの直して欲しいところを書いてるの」

「直して欲しいところ?」

「ほら、言いたい事あるでしょ?みんな彼女には色々言いたい事あるみたいだし」

○○さんというのは、ちょっと色っぽくて可愛くて男子に人気のある女の子だった。
で、いつの時代もそういう人は女子の皆さんの反感を買うようで。
ちょっと前から○○さんに対する不穏な空気が周囲に立ち込めていた。

「直して欲しいところ」という言い方は婉曲表現で、まぁ、要するに、皆で悪口を書いて本人に渡そうって事だ。

私は答えた。

「いや、直して欲しいところなんてないから」

「ええ~~~~!ほんとにぃぃぃ~~~?」(不審な顔つきで)

「ほんと、無いよ、直して欲しいところなんて、一個も」

「ふ~ん、じゃぁ、いい、分かった」

女子の皆さんは去って行った。

やれやれ・・・なんなんだ、一体・・・。
時々、女子の皆さんは変な所で一致団結するよな・・・。
まるで流行り病だ・・・。

数日後、放課後、○○さんが私の目の前に立っていた。

「パラナちゃん・・・ありがとう・・・」

そう言うと、○○さんはポロポロと涙を流して泣き始めた。
わたしはこういう状況に慣れてないので、ひどく動揺して、
「え?え?なに?どしたの?」と落ち着き無く聞いた。

「パラナちゃん・・・みんなに・・・言ってくれたって・・・聞いて・・・、
 直して欲しいところなんて無いって・・・言ってくれたって聞いて・・・、
 ほんと・・・ありがとう・・・」

どうやら、誰かが、私の言った事を本人に伝えたらしい。

「いやいやいや、だって、本当に無いんだもん、直してほしいとこなんて」

「うん・・・ありがとう・・・でも皆の書いたメモ読んだから・・・」

どうやら、割と多くの女子の皆さんが「直して欲しいところ」を書いたらしい。
なんてこったい。
女子の皆さんは結束すると恐ろしいなぁ。

まぁ、ほとぼりが冷めるというか、流行り病みたいなもんで、しばらくすると事態は沈静化していた。

その事から随分経って、例の宗教に弱い親友とひょんな事からその昔話になった。
同じ中学だったから。
私があの小さな紙に書かなかった事を話したら、親友がギクっという顔をした。

「ア・・・アンタ・・・もしかして、あの紙、書いたの?」

「アタシ・・・書いちゃった・・・あの紙・・・」

「げ!書いたの?なんでよ?」

「いやぁ、つい、周りに流されちゃって・・・はっはっは・・・」

「流されんなよ、もぉ~!」

そう。親友は雰囲気に流されてしまったのだ。
そういう人も多かったんだろうなぁ、きっと。
○○さんの事、そんなに嫌いじゃなくても、周りが悪口を言っていると、なんだかそれに染まってしまったというか。

人は声が大きな者に弱いと思う。
「声が大きな者」とは煽動する人という意味。
流れ、とか、ノリ、とか言う場合もあるけど。
そういうのに逆らうのって案外難しいのかもしれない。

だからね、お布施ビンボーになったりするのだよっ、チミは。

流されてはイカン。


お布施ビンボー2

例えば、神社でお守りを買うとして、そういう時の気持ちって「気休め」みたいなものだと思う。
「交通安全」と書かれたお守りを車にぶら下げて走っていても、飾りみたいなものというか、まぁ、効能?みたいなものを真剣に信じている人は稀だと思う。
神社に行きましたよ~って印みたいなものかな。

ずっと昔、その当時の恋人と神社に行った。
私はそれまでお守りってどうやって捨てるものなのか知らなかった。
だから、母親から「縁結び」と書いたお守りを貰っても、そのままゴミ箱に直行させていた。
そんなお守り必要ないし。
そういう性格なのでお守りの捨て方なんて知る由もないわけで。
で、恋人が「交通安全」のお守りを取り出して、お札を捨てる場所に捨てようとした時、
「へー、こういう所に捨てるのか、お守りって」と感心した。
そこで、
「ねぇねぇ、それ貸して、貸して」と交通安全のお守りを取り上げた。
自分で捨ててみたかったのだ。
何事も体験体験。
そして、私はお守りを捨てる瞬間、
「こんなもん効かんのじゃ~~~~~~!おりゃ~~~~~~!」と、叫んでお守りを投げ込もうとした。
軽い冗談だった。
しかし、彼は私の右手をガシっと掴み、「ばっ、バカな事言うのはやめろ!!」と本気で止めのだ。
結構信心深いのね。

こんな私なので、親友の新興宗教のハマリっぷりは本当に理解できなかった。
しかも、神さまを信用するというよりも、教祖を信用しているのもワケが分からなかった。
だって教祖って人間じゃないですか。
神さまじゃないし。
毎回、毎回、お布施と言って料金取るし。
で、あ~しろ、こ~しろと指示されるわけで。
神社のお守りや絵馬やおみくじのように可愛げが全くない。
なんかもっと、こう、重い感じ。
冗談なんてとても言えない。

私は神さまを否定するわけじゃない。
山の神さまとか、海の神さまとか、そういう発想はむしろ好きだ。
だって、自然に対する畏れとか忘れちゃいけないと思うし。

しかし、新興宗教は違う。
全く、違う。
ある人間を、称え、崇め、その一言一句に支配されるから。
そう、正しく、「支配」だ。
心をコントロールされてしまうのだ。
そして、コントロールされている事すら本人は分からない。
いや、コントロールされている事に快感があるのかもしれない。

「私は支配されないぞ」って思う人も多いと思うけど、私は支配なんて簡単な事だと思う。
だって、人は弱いもん。
「いや、私は強い」って思う人も多いかもしれないけど、それは順風なだけだと思う。
逆風が吹くと人は本当にモロい。
例えば、愛する人が不治の病になったら、もう本当にヘロヘロになると思う。
藁をもすがるという気持ち。
いや、そんなに重大な事じゃなくても、例えば、朝、左足から玄関を出るのを右足から出ちゃった、とかそういう軽い事でも一日中モヤモヤする人だっていると思うし。

人間はいとも簡単に支配されてしまう、と思う。
逆風の時は特に。

だからね、日頃から、あんまりゲンを担いだりしない方が良いと思うなぁ。
支配されにくい体質にしておくというか。

朝のテレビの占いとか見たら、敢えて逆の事をしたほうがいいと思う。(笑)


お布施ビンボー

私は友達が少ない。
いや、もう、本当に少ない。

で、そんな私の唯一の親友が、なぜか新興宗教めいたものに滅法弱いんです。
占いにも弱い。
なんでもかんでもすぐに信じちゃうのです。

彼女の最初の職業が飛び込み営業で子供用教材のセット(30万円也)を売る仕事だったからだろうか?
それが彼女と新興宗教っぽいもの出会いだった。
(新興宗教っぽいもの、という風に表現したのは、実際にどんな団体か知らないから)
なんだか成績の良い営業所で、その営業所の皆さんで頻繁に通っていたのが、新興宗教っぽい所で、まぁ、営業成績が上がりますようにって事で祈願とかしていたみたい。
そういうモノを全員で信じる営業所に入社したからだろうか、彼女もすぐに染まってしまった。

しかし彼女は元々人が好いので教材を無理に勧めたりできなかった。
もっと人が好い事に、売りに行ったご家庭で、反対に高級な補正下着を買わされたことすらあった・・・。
(お人好しにも程がある・・・)
つまり、彼女の営業成績はサッパリ・・・な状態だったのだ。
そんな状態なのに、彼女はその会社に5年も勤めた。(エライなぁ)
で、結局、5年間もドップリとあやしい宗教めいたものに浸かってしまったのだ。

その会社を辞めた後、その宗教とは縁が切れた。
だって、そこに通うと辞めた会社の皆さんとバッタリ会ってしまうだろうから。
そういうのは気まずかったのだろう。

じゃ~、それで済んだのかというとそうではなくて、別の新興宗教っぽいものに通うようになったのだ。
やはり、一度そういう状況を味わうと止められないのかもしれない。

彼女のアパートの玄関には小さなお皿があってそこには盛り塩がしてあった。
小さな白い石に筆でお経を書いたりもしていた。
(それはそれはすごい数の石だった。しかも1個100円だったかな?そんな感じ)
極寒の日に白装束を着て滝に打たれたりもしていた。
(なぜか風邪をひかないと本人は嬉しそうに言ってた)
「先生」と呼ばれる教祖から、西に引っ越せと言われればそうしてたし、東に引っ越せと言われればそうしていた。
(いや、詳細はよく分からないけど方角がどうのこうの、と言われて引越しをしてた)

とにかく「先生」と呼ばれる人の言う通りにしていたのだ。

そして彼女は「お布施貧乏」となった。

私はそれまで彼女に何も言わなかった。
だって、どんな宗教を信じても彼女は、彼女だ。
でも、お布施貧乏になるのは良くない事だと思った。
やはり心配である。

ある日、彼女に尋ねた。

「ねぇ、なんで「先生」の言う事を信じちゃうの?」

「だって、不幸になりたくないもん」

「不幸ってさ、避けるよりも迎え撃つ方が良いと思うよ?
 不幸って誰だって嫌だけど、でもそれを乗り越えるから丈夫になるというか、
 「あぁ、これを乗り越えたんだからココまでは耐えれるんだなぁ」って思うし。
 そうやって段々丈夫になっていくんじゃないの?
 ほら、病気になると抗体が出来るじゃん?そういう感じで」

「パラナは強いからそう事言うんだよ。普通の人は誰だって不幸は嫌だよ。
 避けれるものなら避けたいって思うって」

「じゃ「先生」の言う事信じたら本当に避けれると思ってるの?」

「そうは思わないけど・・・でも、ほら、私事故ったじゃん?
 あの時さ、フロントガラスに頭ぶつけて大きなコブが出来た程度で済んだじゃん?
 あれね、後から先生に言ったら、
 『なんだか嫌な予感がしたので、私が祈ったんです。
  本当だったらあの事故であなたは死んでいたのです。
  でも私が祈ったから死なずに済んだのです。』
 って、「先生」が言ったの。「先生」のおかげで死なずに済んだんだよ」

「ちょっと待ってよ!それカンペキな「後だしジャンケン」じゃん!
 そんなんだったら私にも言えるって!」

「後だしジャンケンなんて言わないでよ!」

イカン・・・。
彼女を怒らせてしまった・・・。
失敗、失敗・・・。

こういうのって本当に難しい。
彼女は自分のお金を自分の意志で払って「お布施貧乏」になっているのだから、そういうのって口出ししちゃいけないのかも。
でもさ、OLの給料って安いでしょ?
しかも一人暮らしをしてるから、それでなくとも貧乏なのに。
その上、何万円もお布施してたら破産しちゃうよね。
お布施が悪い事だとは思わないけど、貧乏なOLからなけなしの給料巻き上げる宗教も如何なものか?と。

神さまってそんなにお金が欲しいの?

んなワケないよねぇ・・・。


相性2

少女時代、恋愛モノの漫画が大好きでした。
別マ(別冊マーガレット)とかね、結構好きで読んでました。

まだ恋愛なんて片思いしか知らない頃、そういう漫画を読んで色々と妄想に浸ったものです。
そういう恋愛モノの漫画って、男子が主人公の女子の事を「お前」って呼ぶんですよね。
「お前、ドジだなぁ」とか、そんな感じ。
もうね、妄想炸裂ですよ。
カッコイイ男子から私は「お前」って呼ばれるんですよ。
キャーーー!って感じ。
身悶えしちゃう。
私も早く素敵な人に「お前」って呼ばれたい~、みたいな事を思ってました。

時が過ぎて。

素敵な人に恋をして見事に実ったりしたわけですけども。(きゃっ)
で、夢に見たアノセリフですよ。

「お前」

(ムカっ)

あれ???
なぜ???
なんかムカっとした。
ずっと憧れてたのに。

気のせいかも。
まだ慣れてないんだ、きっと。
そのうち慣れるさ、うんうん。

でもね、一向に慣れないんですよ「お前」って呼ばれる事に。
憧れと現実って違うんですかね?

「お前」って言うのは悪い事だとは思わないんですよ。
親しみとか愛情とか照れ臭さとか、そういうのが詰ってる感じで良い言葉だと思う。
でも、反射的にムカっとくるわけで。

では、「お前」って呼ばないでって頼めば良かったのかもしれないけど、なんだかそれは言い出せなかった。

で、まぁ、結局、振ってしまうわけです。

世の中には「お前」って呼ばれる事を嬉しいと思う女性もいるし、そういう人と付き合う方が幸せだと思うから。

しかし、なぜ「お前」って呼ばれるのが嫌なんだろう。
自分でもよく分からない。
自尊心が傷付くからだよ、と言われれば、そう思えなくもないけど、愛情がこもっているであろう言葉に傷付かなくても良いような気がする。

多分、愛情があるとか、ないとか、関係なく語感が嫌なのかもしれない。
「オマエ」っていう言葉が美しくない、ような気がする。
いや、これは全くの主観ですけどね。

で、こういう流れでいくと、自分の事「オレ」っていう男性よりも「ワタシ」っていう男性が好きなんですよ。
「ボク」っていうのも好き。
語尾も「デス」とか「マス」とかだとさらに嬉しい。

あぁ・・・。
ここまで書いて分かった・・・。

やはり父の影がチラホラする。
汚い言葉が嫌いな人でしたからねぇ・・・。
私自身は汚い言葉が好きというか、照れ臭いのでついそうなってしまうのだけど、男性には丁寧な言葉を希望してるんだなぁ。

初めて二人で食事に行った時、
「ワタシ、神社仏閣巡りが好きなんデス」と言った人。

それが夫です。

「今度、紅葉狩りに行きませんか?」
ってな事も言ってた。

じじくさ~~~~~~~~~~~っ!!!

でも、惚れた。(笑)


相性

父子家庭というものは、当たり前な話ですが、母親がいないということです。
母親がいないという事はどういう事かと申しますと、細やかな気配りが無いという事です。
細やかな気配りとは、例えば、朝起こしてくれるとか、そういう事です。
つまり、サービスとでも申しましょうか。
父親はそういうサービス精神は薄いです。
娘が遅刻して先生から出席簿で殴られてもそういう事はお構い無しなのです。

ええ、ええ、沢山殴られましたとも。
出席簿で。

で、小学生の高学年以来、こういう環境で育った娘というの大人になって「あれ?」ってなる事が多々あるわけでして。

大人になりますと、恋人なんぞできたりするわけです。(きゃっ)

でね、付き合い始めてしばらく経つと、恋人から、

「明日○時に起こしてよ」

とか言われちゃうんですよ。

で、こちらは、
「目覚まし時計壊れたの?」
なんてマトモに聞き返したりするわけです。

「壊れてないよ」

訳が分からん。
なぜ、目覚まし時計が壊れた訳でもないのに起こさねばならんのか。

母親のいる家庭で育ったお嬢さんはこういう時どうするの?
起こしてあげたりするの?
別に、起こしてあげたくない、という事ではないんですよ。
なぜ、起こさなければならないのかが理解できないので「あれ?」ってなるんです。

家の中でくつろいでいる時、突然、

「プリン食べたいな~」

とか言われた事もあって、

「プリン好きなんだ?ふ~ん」
て答えて、その場で終わった事があるんですよ。

で、何日かしてスーパーに行った時にプリンを購入したんですよ。

「プリン買ってきたよ~」
ってプリンを差し出した時に、

「プリンを食べたかったのはこの前だよ。今は別に食べたくない」
って言われたんです。

う~~~ん。
男心って難しいですよね。
あの時、すぐにプリンを買いに行くべきだったのだろうか?
普通はどうするんだろう、こういう時。

私は、父親に育てられた故、サービス精神が圧倒的に欠けてしまったような気がする。
男子のニーズに答えられない。
こんな自分はダメ人間だ!!

って私が思う訳なくて、仕方ないので、
「ごめん、新しい彼氏できた」
って言って、振ってしまうわけです。
新しい彼氏ができている場合と、単なる嘘の場合もあったけど、こういう振り方が一番手っ取り早いのでよく使った。
だって、「あなたのこういう所が合わないような気がする」という言い方で振るのは面倒臭いもん。
長引くでしょ?話し合いとか、色々。

「朝起こして」の人も、「プリン」の人も、どうして自分が振られたのか恐らく気付いてないと思う。
でも、それで良いと思う。
それぞれ、自分に合う人と付き合えば良いと思うから。

そうなのだ。
皆、自分に合う人と付き合い、結婚した方が幸せだ。
「朝起こして」の人が決して間違ってるとは思わない。
だって、きっとその人は恋人が朝起こしてくれるのが嬉しいんだろうから。
そういう願望があったっていいと思う。
それに、起こしてあげるのが嬉しい女性もいるだろうし。

「プリン」の人だってそう。
プリンをダッシュで買いに行く女性もいるだろうし。
その場で手作りで作っちゃう女性もいるだろう。
そういう人と一緒にいた方が幸せなのだ。

つい先日、友人から電話があった。
久々の電話だったので、つい話が盛り上がってしまった。
その時、友人が、

「あ!ごめんね!今晩御飯時だよね?もしかして晩御飯作ってた?時間大丈夫?」

細やかな気遣いの出来る素晴らしい友人である。

私は答えた。

「うん。今は確かに晩御飯時だし、晩御飯の準備をしているけれど、晩御飯を作ってるのは夫だから」

「へっ????」

「だから、夫が晩御飯を作っている、と」

「あ・・・あんた!専業主婦でしょうが~~~~~~っっ!」

絶叫されてしまった。

いや、言い訳をさせてもらうと、その日は週末でして。
平日はちゃんと作ってるんですよね。

え?週末も作れって?

うん。
私もそう思う。
にゃはは。


教える

私が新入社員だった頃、「出来ないコ」であった事は前にも書いた通り。
理解力が遅く、周りをイライラさせていた。

で、その後日談。

あの頃、事務所はビルの中の3階と8階に分かれていた。
元々3階だけだったのだけど、人数が増えたので8階も借りたのだ。

で、私はその日8階で作業をしていた。
いつもながらに出来ない訳で、ちょっと遅くまで残っていた。
何時だったか忘れたけど、もう帰ろうかなぁ、と思い、3階に下りた。
3階の事務所に自分の机があるから。
更衣室があるのは8階だったけど、仕事の道具を仕舞う為に3階に下りたのだ。

3階の事務所のドアは少しだけ開いていた。
手をかけて開けようとした瞬間、声が聞こえてきた。

「もう!社長はどうしてあんなコを雇ったんですかっ!」

私はビクっとなり、ドアを開けるのを止め、隙間から中の様子を覗いた。
こうして書くとなんか「家政婦は見た!」みたいな感じで可笑しい。
でも、ホント、そんな感じだったのだ。

見ると、社長の周りに4人くらい社員がいた。
声の主は例のテニスに誘ってくれた(でも断わってしまってエライ目にあった)人。

で、「あんなコ」というのは当然ながら私の事だった。

「今度の採用は全員男性を雇うって言ってたじゃないですか!」
「なんで女のコなんか雇ったんですか!」

ジリジリと詰め寄られる社長。
なんかしどろもどろに答えている。

「い・・・いや・・・結構見込みあるかな・・とか・・思って・・・」

「全然出来ないですよ!」

「そ・・・そんな事もない・・と思うんだけども・・・」

「そんなに言うんだったら、社長が面倒見てくださいよねっ」

「いや・・・そんな・・・」

てなやり取りが繰り広げられている。

私はエレベーターに乗り、8階の事務所に戻った。

私はふぅ~っとため息をついた。

「あぁ・・・私のせいで、社長、あんなに詰め寄られて・・・可哀想に・・・」
「私なんか雇ったばっかりに・・・」
「迷惑かけちゃうなぁ・・・」

私はすっかり社長が気の毒になった。

こうやって書くと、私はつくづく図太い神経をしているなぁ、と思う。
普通、自分の事を「アホバカ」呼ばわりされているんだからそっちで傷つけよ、って思うけど、そういう事はあんまり気にならないのである。
多分、これは、父の影響だと思う。
何があっても「お宝さん」だの、「お利口さん」と呼ばれて育ったせいか、他人の自分に対する非難や批判に対して他人事のように感じてしまうのだ。
いや、だからこそ、嫌われるのだけど。
長所でもあり短所でもあるという、両刃の剣。

で、私は社長に大いに同情を寄せた訳です。
社長の為にもなんとか頑張らにゃイカン!と心に誓ったのだ。
その日はそこで着替えてそのまま帰った。

数日経って、私は社長から会議室に呼ばれた。
そこで社長は私に仕事を教えてくれたのだ。
まぁ、なぜ教えてくれるのか敢えて問うような事はせず、私は黙って説明を聞いていた。

で、で、で!
今までもや~~っと霧がかかっていたというか、混線していたというか、頭の中がグチャグチャになっていた事がスッキリしたんです!

私は感極まって言った。

「目からウロコが落ちたよ!」と。

「いやぁ、シャチョー教えるのうまいね!」と。

タメ口である。

社長は私のタメ口など気にする風でもなく。

「フッフッフ・・・そうでしょ?私、予備校の講師とか家庭教師のバイトをしてましたからね、教えるのはちょっと上手いですよ」

「へ~~!やっぱり?すごい分かりやすいもん、説明が」

「フフフ・・・私が教えた子はみんな志望校に合格しましたからね」

「うんうん!分かるよ、それ!」

私は自分がタメ口になってる事も忘れて、社長の教え方の上手さを誉め続けた。
それに気を良くしてくれたのか分からないけど、私の教育係はそれ以来社長になった。

私はその後「出来るコ」に変身した。

つまり、人間、「出来る」「出来ない」なんて紙一重の差みたいなものだと思う。
肝心なのは、教える側なのだ、と。

社長は社長であるけども、工学博士でもある人だったので、教える事が上手かったのだと思う。
頭の良い人程、サルにでも理解できるくらい分かりやすく説明できるのかもしれない。

サルっていうのは言い過ぎだけど。(笑)

もし、自分が教える側で、「あぁ、コイツ出来ねぇなぁ」と思ったとしたら、それは案外自分が「出来ないヤツ」なのかもしれない。

と、いう事を頭に隅に置いておくと良いカモ。


働いていた頃の話。

Yさんという人がいた。

ある日、Yさんが腹を立てていた。
得意先の担当者の対応に腹が立つというのだ。

「いつもいつも返事が遅いんですよっ!あれはもう絶対にこっちの事ナメてんですよっ!」

てな内容の事を繰り返し、繰り返し、言っていた。

私は黙ってその愚痴みたいなものを聞いてきた。
しかし、私は「うんうん」という同意を示さなかった。
私が茫っとした顔で聞いていたからだろうか、Yさんは別の人に愚痴を言いに行った。

何かが引っ掛かる。
何だろう?
同意できない。

その得意先の担当者の方の事はよく知っていた。
私も長年やり取りをしていたから。
そして、Yさんの言う通り、質問した事の回答がなかなか返ってこない人だった。
でも、それを「ナメられた」と感じた事は無い。
と、言うか、「ナメられた」という単語自体、私は使用した事が無い。

私はしばらく考え込んで、「あっ!」と思った。

Yさんは人の事をナメているのだ、と。
全員ではなく、自分が軽んじた人に対して。
つまり、Yさんは自分が軽んじている人から頼み事をされると、対応を遅くするのだ、と。
だから、自分に対して対応が遅い人を「こちらをナメている」という風に感じるのだ、と。

確かに、Yさんは他人に対する対応に強弱のある人だった。
丁寧に接する人、雑に接する人、それが傍目から見ても分かる人だった。
それは相手の立場なのか、年齢なのか、キャリアなのか、その振り分けは分からないけれど、違いがあるのだ。

きっと、Yさんはこの事に気付いてないと思う。
自分の事は一番見えないものだから。

ある老人が何かで言っていた事を思い出した。

「平等平等って唱える人がいますけどね、本当は平等なんて望んじゃいないんですよ。自分にとって都合の良い状態である事を望んでいるんです。自己都合の平等ですね。
つまり、そういう人はね不平等を望んでいるんですよ。」

誰が言ったか忘れたけれど、心に残っている言葉だ。

自分が発する言葉を自分で振り返ってみるのも面白いかもしれない。
特に、不平不満愚痴なんかを振り返ってみるのが面白いと思う。
そこに新しい発見があったりするかもしれないから。


口やかましい隣人

10代の終わり頃だっただろうか。
ある小説の一節に、
「芸術の最大の敵は訳知り顔した愛好家だ」というのがあった。

この一節を読んで以来、私はずっとある事象に悩まされている。

実家に帰省した時、

「ね~、お父さん、例えば外食して不味いものを食べたとき「不味い」って言うよね?」

「うんうん」

「でもさ、それってさ、自分がそれ以上うまく作れる人しか言っちゃいけないと思うんだけど・・・」

「え~~~~。お父さんは不味いものは不味いって言いたいな~~~~」

「いやいや、私だって言いたいけど・・・言っていいのかなぁ?って・・・」

「う~~ん。難しいねぇ・・・」

私の心の中には、あの一節を読んで以来、口やかましい隣人が住み着いてしまった。

例えば、テレビを見ていて、下手な演技をする俳優さんがいたとして、
「下手だな~」って言うと、口やかましい隣人が出てきて、
「へぇ~、アンタあの俳優より演技うまいんだ?」とすごく意地悪な事を言い出すのだ。
これには参った。
かなりグサっと胸を突き刺されるわけです。

俳優だけではなく、歌手だろうと、お笑い芸人だろうと、何だろうと、ちょっとでも批判的な事を言うと、すぐに隣人が、勝ち誇ったような顔をしながら、
「へぇ~、アンタそんなにすごいんだ?」と言うのだからたまったものではない。

思えば、それまでは好き勝手に言いたい事を言っていた気がする。
言いたい事言うとスッキリするし。
でも、言えば言うほど、自分にグサグサと跳ね返ってくるようになったのだ。

あの日以来、私は口を閉ざし、心の中にモヤモヤを溜め込むようになってしまった。

しかし、である。
同じ言いたい事でも誉める事に関しては隣人は出てこないのだ。
「わーー!これ美味しい~~~!」って言っても、隣人はシーンとしている。
当たり前だけど。
でも、私にとってこれは救いであった。
「すごい!上手い!」って言う分には隣人は出てこないのだから。
これで少しだけモヤモヤを吐き出す事ができるわけです。
少しだけ、だけど。

ちょっと前、ハンバーグが美味しいと評判のレストランに夫と行った。
ハンバーグが好きな私としてはワクワクしてたわけです。
で、ハンバーグ登場。
一口食べる。
「・・・・・・。」

私は夫に言った。
「あの・・・私はこういう事は滅多に言わないんですけども・・・このハンバーグよりも・・・私が作るハンバーグの方が美味しい・・・ような・・・気がする」

なぜこのような言い方になったのかといえば、私は隣人を恐れているからだ。
つい、隣人にお伺いを立てるような話し方になってしまった。

夫は「うんうん」と大きく頷いていた。

隣人は?

(シーーーーーン)

やったぁ~~~~!
どうやら合格したようだ。

心の中の口やかましい隣人はだれよりも厳いのだ。

(追記)
しかし、ホント、この隣人には困ってるんです。
どうにか追い出したいけど、なかなか出て行かない。
なんでこの文章を書いたかと言うと、これを書くことによってひょっとして同じ事象で悩む人が出てくるかも、と思ったからです。
ええ、ええ、「お前も苦しめ~」という気持ちで書きました。
私一人では辛すぎるから。
「口やかましい隣人を持つ人の会」の会員募集中。(笑)
キャッチフレーズは
「あなたもモヤモヤを抱えてみませんか?」です。


騎士

賃貸の集合住宅に住んでいた時のこと。

いつものようにオートロックを開け、いつものように1階の郵便受けを確認し、いつものようにエレベーターの所まで歩いていた。
その時、私よりも先に男の子がいたのは分かっていた。
ふと、エレベーターの方を見ると、先に歩いていた男の子がエレベーターのドアを開けてこっちを見ていた。

「あ。待っててくれてるのかな?」

私は小走りでエレベーターに乗り込んだ。

その男の子はすかさず、

「何階ですか?」と聞いてきた。

その大人びたモノの言い方に、ちょっとビックリして、

「あ・・・えと・・・5階です」

その男の子をチラっと見る。
どうみても、小学校1、2年生・・・、ひょっとして3年生かも。
とにかく、小学校の低学年である事は確かだ。

エレベーターが3階で停止した。
どうやらその子の家は3階のようだ。

その時だ、男の子は『閉』のボタンを押してスっと扉の外に出た。
その動作はとても手馴れていて、ちょっとカッコ良かった。

そして、扉が閉まるその瞬間、

「ばいばいき~~~~~ん!」と言って走って行った。

男の子の一連の大人びた所作と、「ばいばいきーん」というセリフ。
私は5階に上がるエレベーターの中でぷっと噴出した。
笑いつつも、何だかちょっと胸がキュンとなった。

「恋かしら?」

んなわけはないけれど、なんだかちょっとドキドキしたのだ。
そして私の妄想の中で彼は「騎士」になった。

「姫、何階ですか?」

というセリフを妄想してニタニタと笑う一人暮らしの独身OL。
その時、すでに30歳を越えていた。
背中が氷つくほど寒い光景だ。

何日か過ぎて、朝エレベーターで下りていると、3階で停止した。
エレベーターの網掛けのガラスの向こうに「騎士」の姿が見えた。

扉が開く。

すかさず、
「おはようございます」と騎士が言った。

「お・・・・おはよう・・・ゴザイマス」

子供なんだから「おはよう」で止めておこうかと思ったけど、何だか失礼な気がして、「ゴザイマス」を付けた。
ちょっと不自然な挨拶になってしまった。

1階でエレベーターが開くと、騎士は、
「いってきま~~~~す!」と大きな声で言いつつ走り去った。

胸きゅん。

その日は、仕事中もニタニタニタニタ、騎士と姫の妄想にふけってしまった。
30過ぎのOLが。
ええ、ええ、気持ち悪いですよ。(開き直り)

そんなこんなで、騎士との遭遇は極稀であったが、いつでも彼は騎士として凛々しかった。

ある日、多分、週末。
1階のオートロックのガラス扉の向こうに騎士がいた。
私はちょっとウキウキして鍵を開けた。
中に入ると、果たしてその日は、騎士は母親と一緒にいた。

「おぉ。騎士の母君かぁ」

などと心の中でつぶやきつつ、私は郵便受けの所に向かった。

騎士の母君は、郵便受けをパカっと開けて中を確認していた。
私が郵便受けの所に到着すると、騎士の母君はエレベーターの方に向かって歩き始めていた。

その時、騎士が郵便受けをパカっと開けた。
騎士は騎士なりに、自分の目で郵便物を確認したかったのだろう。

パカっと郵便受けを開ける音が聞こえたからだろう、母親はクルリと振り向いて、

「何やってんのっ!!お母さんが今見たでしょ?何でまた開けるの?今開けたって郵便物が入ってるわけないでしょ?何で何度も開けるの?郵便受けはおもちゃじゃないのよ!!パカパカ開けないでっ!!」

男の子はうつむいた。

「何やってんのっ!!早く来なさいっ!!」

男の子は小走りでエレベーターの方に向かった。
私も連られて小走りで彼の後を追った。

二人でエレベーターに乗り込み、彼の母親は『閉』のボタンを押した。
母親は無言だった。

私はそーっと手を伸ばして5階のボタンを押した。

もうそこには騎士も姫もいなかった。

そこにいたの二匹の金魚だ。
狭い空間の中、酸欠状態で、パクパクと口を開け、もがいている二匹の金魚。

あの時はほんと、切なかったなぁ・・・。


カレーパン

私の好きな話の一つに「カレーパンの話」というのがある。

ある子供がカレーパンが大好きで、スーパーに行く度にカレーパン、カレーパンとうるさいのです。
そんなに毎回カレーパンを買うわけにはいかないから、たまにしか買ってあげないわけです。
だから、ますますカレーパン、カレーパンと子供はうるさく言います。
ある日、いい加減うるさいので、カレーパンを10個買い、子供に与えました。
子供は大喜びです。
家に帰ってカレーパンを食べ始めると5個目くらいで気持ち悪くなり、6個目あたりで、「もう、いらない」と言いました。
それから、子供はスーパーに行ってもカレーパンを欲しがらなくなりました、とさ。

これは実話である。
(注:私ではない。でも似たような事例はある。私の場合、それは『カッパ巻き』)

子供は我慢させられれば、させられるほど、欲求が強まる傾向があると思う。
逆に欲求が必要以上に満たされるとすぐに飽きる傾向もあると思う。

私の身近にゲーマーというか、いい年こいてゲームに夢中の人がいる。
古いゲームソフトをオークションで落札したりもしている。
ちょっと気になって聞いてみると、案の定、子供の頃ゲーム禁止の家庭で育ったとのこと。
唯一の楽しみは友達の家に遊びに行った時にゲームをすること、だったらしい。

大人になって子供の頃の欲望を満たそうとするとキリがない。
砂漠に水を与えるように、いつまでたっても満たされない。
買っても、買っても、買っても、買っても、まだ欲しい。
ハタから見ると、一種異様な雰囲気。
「もういい加減にしなよ」と言っても聞きやしない。

心って砂漠化するのかも。
森が林になり木になり、やがて砂漠化するがごとく。
林や木の段階で手を打てば、砂漠化は防げるのかもしれない。

何もモノだけに限った話ではない。
「愛情」だってそう。
欲しい、欲しい、と思っている時に与えられなければ、どんどん砂漠化する。
砂漠化した後で、どれだけ愛情を注いでも、もう元の森には戻らない。
というか、戻りにくい。

こういう事って案外多いなぁ、って最近思う。

砂漠化してからじゃ遅いのに。


祝、成人

例えば、高校生の娘がいるとして、母親が娘に、
「あなたの誕生日にはマフラーを贈ろうと思うのだけど、ブランド物のマフラーとお母さんの手作りマフラーどっちがいい?」と聞いたとする。

きっとほとんどの娘さんは「ブランド物のマフラー」と答えるだろうなぁ。

で、逆のパターンで、高校生の娘さんが父親に対して、
「パパの誕生日にはマフラーを贈ろうと思うのだけど、ブランド物のマフラーと私の手作りマフラーどっちがいい?」と聞いたとする。

きっとほとんどの父親は「手作りマフラー」と答えるだろう。

ってな、妄想をした。

これは「幸せの選択」だと思う。
娘さんにとっては「ブランド物のマフラー」が自分を幸福にするのだろうし、
父親にとっては「娘の手作りマフラー」が自分を幸福にするのだろう。

で、お金で買えるものに幸せを見出すのは「子供」で、
お金で買えないものに幸せを見出すのは「大人」なのではないかなぁ、と。

つまり、10代でも「手作り」と答える人は、たとえ10代でも「大人」だと思うし、
いい年こいて「ブランド物」と答える人は、たとえ何歳であろうと「子供」ではなかろうか?

親の遺品を整理していたら、親の財布から子供の頃に贈った「肩タタキ券」が出てきたというたぐいの話に涙腺が緩むタイプの私です。

もし、娘さんが気まぐれに父親にお弁当を作ったとします。
お弁当の蓋をパカっと開けたとき、海苔で、
「パパ ガンバレ」なんて書いてあった日にゃぁ、お父さん族は定年まですごい勢いで働くと思うなぁ。(笑)

なんちゅうか、その・・・・

祝!成人。

皆様、良い感じの大人になってくださいませ。


偏屈な人 [雑感]

偏屈だ、と言われたり、思われたりする人がたまにいる。
大抵は悪い意味だ。
我がまま、とか、協調性がない、とか、生意気だ、とか。

会社に入って間もない頃、そういう偏屈だと思われている先輩がいた。
愛想笑いなんてしないその先輩は、とりわけ年上の人達に評判が悪かった。

その頃の私は、同期の新人の中で最も「出来ないコ」だった。
他の新人さん達よりも何をやらせても遅いのだ。
教えてもらっているのに、私はさっぱり分からないといった風情でポカンとしていたと思う。
当然、教える側はイライラする。
だから、とても嫌われていたような気がする。

ある日、課題として与えられていた仕事が出来ない日があった。
午後6時を過ぎても出来ない私の周りに先輩達が集まってきた。
4、5人はいたと思う。
皆「どれどれ?」といった感じで私の仕事を見た。
理解していない私の仕事はとても珍妙だったのだろう、クスクスと笑い声も聞こえた。
「ねぇねぇ、なんでこんな風にしてんの?」と聞かれたりした。
自分でも訳が分からずやっているので、答えに窮したし、クスクス笑いながら聞かれるので屈辱感で一杯になった。
でも、現実的に出来ないのだから、なんとかせねばならないわけで。
そのうち、先輩方も一緒に考えてくれた。

あーすれば?と言われればその通りにした。
こーすれば?と言われればその通りにした。
しかし、一向に問題は解決しないのである。
あーでもない、こーでもない、という風に1時間くらいしたら、先輩達は飽きてきたのか、帰ってしまった。
私は散々カラスに突付かれた小動物のようにみすぼらしい様子になっていたと思う。

午後八時を過ぎて、例の偏屈な先輩が出先の仕事から戻ってきた。
私のヨレヨレした風情を感じたからだろうか?
「どうしたの?」と声をかけてくれた。
私は経過を説明し、どうやっても上手くいかないと伝えた。

「どれどれ?」と先輩は私の仕事を見てくれた。
2分くらい経っただろうか、「ここ」と指を指された箇所があった。
先輩に言われた通り直したら、すぐに出来てしまった。
私はとても感激した。
先輩が魔法使いのように思えたのだ。
そして、
「どーしてすぐに分かったんですか?」と尋ねた。

すると、
「うん、僕も同じミスをした事あるから」と答えた。

それまで散々嘲笑され、自分に自信が無くなっていた私にとってその言葉はとても嬉しかった。
しかし・・・・と考えた。
では、あの4、5人の先輩方は何だったのだろう?

とにかく、私は偏屈だと言われている先輩を頼った。
「今度こういう仕事をするので、サンプルになりそうなものがあったら欲しいのですが」
と、お願いをした事もある。
すると翌日、会社の机の上に紙が置いてあった。
前日に頼んでおいたサンプルである。
そして、その上に一枚の紙片が置いてあった。

読むと、
「一かけ、二こすり、サンプール」
と書いてあった。

数年後、カラスのように私を突付いた先輩方は次々に会社を去っていった。
社長に言わせると、「仕事が出来るフリをした連中」という事だった。

偏屈な人って実は優しい人が多いのかもしれない。


しっぽ [雑感]

この世には「見えない尻尾」を持つ人がいる。
いや、私だけに見えない尻尾というべきか。
不思議な事に、周りの皆には見えているんですよ、それが。
だから、ヒョイヒョイと器用にその尻尾を除けて通り過ぎる事ができるわけです。

会社に入ってまだ間もない新人の頃、週末にテニスをしましょうと誘われた。
誘ってくれたのは社内で一番年上の女性だった。
私はテニスなどした事がないし、週末は家でゴロゴロしたかった。
だから、私は軽い気持ちでその誘いを断わった。

でもね、これは断わっちゃいけなかったんです。

「あれ?なんだか風当たりが変だぞ」と気付いた時にはすでに遅かった。

親切な人がコッソリ教えてくれた。
「せっかく誘ってあげたのに断わるなんて生意気だ!って怒ってたよ」って。

思えば、私以外の新人さん達は皆参加していた。
新人の中で断わったのは私だけだった。
「へ~、みんなテニスが出来るんだ~すごいなぁ」と単純に思っていた。
でも、違うんだなぁ、これが。
テニスが好きとか出来るとかの問題ではなかったのだ。

私にはこういうトラブルが多い。
新人の頃だけという訳ではなく、それからも度々こういう事があった。

私は嘆いた。
「どうして私は嫌われるんだろう?」って。

そしたら、気の良い後輩が、
「パラナさんは尻尾が見えてないですもん。思いっきり踏んでますよね、いつも」
と、笑いながら言った。

ガーーーーーーン。

知らんかった。
尻尾が生えていたのかっ!
しかも、皆には見えてるんだね。
でも、私には見えない。

で、踏む。
で、怒らせる。
で、嫌われる。

なんだか謎が解けたような気がした。

いや、尻尾のない人も多いと思う。
そういう人とは上手くいく。
嫌われるような事もない。

でも、中には、「どんだけ尻尾があるんだよ?」っていうような人もいると思う。
8本くらいあるのは狐の妖怪だっただろうか?
あれ?9本だっけ?

まぁ、いっか。

そんな訳で、尻尾を踏んでは「シャー!!」っと威嚇され、引っ掛かれてしまうわけです。

イタタタタタタ。

ところで、尻尾の生えている人って自分の尻尾の存在に気付いているのかなぁ?
皆除けて通ってくれてるんだから、その事に感謝しなくちゃいけないよ、って思う。

私は踏むけどね。(笑)


希望的観測 [雑感]

食材の良し悪しなんてあんまり分からない私です。
よく分からないから、「ちょっと良い感じ」に見える食材を選ぶわけですが。

昔、スーパーで鶏肉を買うとき、ある産地の鶏肉を買っていた。
ちょっと高かったけど、高いからこそ「良いもの」だと単純に思い込んでいた。

で、産地偽装が社会的な問題になり、その「ちょっと高い鶏肉」も産地偽装であったと判明した。
いつも行くスーパーから、その高い鶏肉は姿を消した。
その変わり、「健康鳥」とかなんとか、別のシールが貼られて売られるようになった。

そう、私はずーっと騙されていたのだ。

で、今、スーパーに行くとお肉のコーナーは実に産地が豊かだ。

「ブラジル産」
「USA産」
「オーストラリア産」
などなど。
もちろん「国産」もある。

どこまで信じていいのか分からないけど、昔は全部これらは「国産」だったような気がする。
それから比べれば随分と「正直」になったもんだと思う。

今、マンションを買おうかな~って人は少ないと思う。
信用できないからね。
でも、これから先、建つマンションはもしかしたら「正直」なマンションが多いのかもしれない。
そうなるといいなぁ。

という、希望的観測。

建築基準法がザル法と呼ばれて久しいわけですが、これを機にどうかザルの目が細かくなりますように・・・。
エライ人達、そこの所どうかよろしくお願いします。


そこから先なんですよ本当は [雑感]

小学生の頃、飛び箱が得意だった。
それこそ、もう、自分は何段でも飛べちゃうんじゃないかってくらいに。
あれは、何段だったんだろう?
体育館にズラーっと並べられた飛び箱。
左から順に、2段、3段、4段・・・という風に右に行くほど高く積み上げられた飛び箱。
各自、飛べる所で飛んでくださいみたいな趣旨だったような。
私は一番右端の一番高く積み上げられた飛び箱を飛んでいた。
多分、飛ぶ事が面白くて嬉々としていたと思う。

で、中学生の時、体育の時間に飛び箱をやることになった。
先ずは、3段。

飛べない。

あんなに得意だったのに、3段の飛び箱すら飛べなくなってしまったのだ。
なぜか?

それは恐怖心が芽生えたから。
失敗した時の悪いイメージが頭の中に浮かぶようになったのだ。
実際に失敗して痛い目に合った事はないのに。
もう昔のように思いっきり踏み込めなくなってしまった。
そこから先は恐怖心との戦いだったような気がする。
「怖くない、怖くない」と自分に自己暗示をかけるような感じ。
それでも、なかなか飛べなくて・・・あの時は本当に困ったなぁ・・・。

多分、恐怖心が芽生えるって事は、大人になった証拠だと思う。
思慮深くなったというか。
あらゆる最悪な事態を想定できるようになったというか。
だから、飛べなくなったのは残念な事だけど、失敗のイメージもなく飛び続ける事の方が本当は危ない事なんだろうなぁって思う。

なんでもそうだけど、人ってイケイケドンドンな時期があるような気がする。
上昇気流というか、上がる事しか想像できないというか。
飛ぶ鳥を落とす勢いといったりもするだろう。

梯子をすごい勢いで、上へ、上へと登っている時は案外怖くないものだ。
さて、自分はどのくらい登ったかな?とふと下を見た瞬間、あまりの高さに目がくらみ体が凍りつく。
そうなってしまったら、もう上る事も、下りる事もできなくなってしまって、梯子にしがみついてしまう。
そんな感じ。

人は時に、イケイケドンドンな人を褒め称えるものだ。
そして、自分自身も、その頃の自分が輝いているような気がするものだ。

でも、私は思うんだけど、その頃って実は単に「バカ」なだけなんじゃないかな~って。
思慮が浅いからこそ出来た事なんじゃないの?って。

本当の戦いって、恐怖を踏まえた上で、それでも、泣きながら、ビビリながら、あらゆる悪い事態を想定しつつ、それに対する防御を固めつつ、周囲の様子にも気を配りながら前に進む事なんじゃないかな~って思う。
周りから見てもちっとも格好良くないし、ヨタヨタと実に不様な様子で前に進んでいるように見えるかもしれない。
でも、本当はそれが一番カッコ良いと思う。

本当はそれが一番カッコ良いんだよ。

恐怖を知った時からが本当のスタートだと思うんだ、なんでもね。


くろひげ危機一髪的な [雑感]

私の交友関係は滅茶苦茶狭いです。
それはもう、私の性格が原因です。

で、こんな私ですが、この度、お世話になった方がめでたくご出産をされました。
それはそれはお世話になった方ですので、ここは一つ張り切って出産祝いを贈りたいなと考えたわけです。
「わーーー!ありがとーーー!すっごい嬉しいー!」って言ってもらえるものを贈りたいな、と。
渡した時に彼女が喜ぶであろう姿を想像(妄想)しニヤニヤしつつ、

「あぁ!とびっきり喜ばれるものを贈りたいっ!!」

と、思ったわけです。

でも、私には子供がいないので、正直どういったものが喜ばれるのは分からないのです。

そこはそれ、このインターネットという便利なものを使えばタラララーンと瞬時に情報が掴めてしまうわけで。

グーグル先生、やっちゃってください。

『出産祝い(ブランク)貰って嬉しかったもの』

タラララーン

うん。

結果はすぐに出たよ。

さすがグーグル先生。

匿名だから皆本音を書けるよね。
とても良い事だと思う。

でもね、でもね、その結果を受け止める事ができないんですよ。

『現金』(金券含む)

って。

最初にその文字を見た時、「グサ」って短剣を刺されたような気がして。
でも、次から次に『現金』って文字は出てくるわけで。
その度に、「グサ」「グサ」と短剣を刺され、なんだか自分が黒髭危機一髪の樽になったような気がしました。

「わーーー!ありがとーーー!すっごい嬉しいー!」

の妄想の中に現金は入ってなかったので、なんというか、こう・・・。

もちろん、「服」とか書く人もいるけれど、そういった事の後には必ず、
「えーー、服は好みとかサイズもあるから、貰っても嬉しくなーい」みたいな事が書かれているわけで。

じゃ、何なら文句が出ないんだ?って調べると、そこで結局、『現金』なのです。
あと、「ママにアクセサリー」ってのもあんまり文句が出てないようです。
あと、「紙おむつ」などの消耗品類(もちろん銘柄指定)。

なんだか、とても、疲れました。

私は時々幻想を抱きすぎるのです。
現実を知りたくないというか、見たくないというか。
もっと世界はポヤポヤとした暖かいものに包まれていて、愛だの平和だのと能天気に叫びたいなぁ、っていつも思っているのです。

まぁ、図太い私がこんな事でへこたれる訳もなく。
体に突き刺さった短剣は無表情にサッサと片付けるわけで。

さ、かわいいベビー用品でも調べるか。
とショッピングサイトを見て回り、まさにポヤポヤ~としていて、胸がキューンとなるような可愛いベビー用品を見てすっかり立ち直ったわけです。
本当に切なくなるほど可愛いね、ベビー用品って。

まぁ、プレゼントなんて結局自分の好みの押し付けなわけで。
でも、それでいいじゃないか、と自分を納得させて、

「わーーー!ありがとーーー!すっごい嬉しいー!」

と言われる事を妄想をしつつ、注文ボタンをポチっと。

たとえ、それがヤフオクに出品されたとしても・・・ね・・・。


ある夫婦の会話(6) [ある夫婦の会話]

※これはあくまでもフィクションです。

妻「ふぅ・・・」

夫「どうしたの?」

妻「いやぁ、一から出直すのって大変だなって思って」

夫「ふむふむ」

妻「仕事って長くやってると慣れみたいなものでやれちゃうから、結構頭使ってなかった
  かもしれないなって思うよ」

夫「ずっと同じ仕事を続ける方が楽ってことはあるかもしれないね」

妻「うんうん」

夫「ところで、君、何で前の会社を辞めたの?」

妻「え?」

夫「いや、ちょっと気になって・・・」

妻「才能が無いって気付いちゃったのよ・・・っていうか、天才?みたいなコが現れて、
  なんだか一つの時代に終止符が打たれたっていうか、打ちのめされたっていうか」

夫「へ~、余程すごい人なんだね」

妻「うん、もう完敗って感じ」

夫「君をそこまで凹ませるなんて本当にすごい人なんだね」

妻「初めはね、そんなにすごいコだって気付かなかったのよ。どこにでもいる普通の男の
  コって感じだったの」

夫「へ~」

妻「ダークホースとはまさにそのコの事だわ」

夫「ほ~」

妻「こんなエピソードがあるの。
  そのコが朝いつものように通勤しようとしていたら、駅のホームで見知らぬオバサン
  から『ちょっと、ちょっと』って声をかけられたらしいの。
  振り返って『何ですか?』って聞いたら、『アンタ首に何か巻きついてるよ』って。
  サラリーマンが首に巻きつけているものはネクタイって決まってるじゃない?
  そのコも『変な事いうオバサンだなぁ』って思ったらしいの。
  で、確かめてみたけど、それはやっぱりネクタイなのよ」

夫「ふむふむ」

妻「でもね、そのオバサンはある意味正しかったのよ」

夫「なんで?」

妻「確かに、ネクタイだったんだけどね、そのコね、Yシャツを着るのを忘れていたのよ」

夫「え???」

妻「Yシャツを着ずに、ネクタイ締めてたの・・・」

夫「えー!!!」

妻「素の首にね、ネクタイ巻いて、駅のホームで電車を待ってたのよ・・・」

夫「げーーーっ!!」

妻「それを見知らぬオバサンから指摘されて気付いたの。もちろん慌てて着替えに帰った
  らしいけど」

夫「有り得ないよ!!!!」

妻「実話よ」

夫「スゴイ人だね・・・」

妻「ね?スゴイでしょ!!もうこんな話が山ほどあるのよ、そのコには!!
  悔しいけど器の違いっていうのを見せ付けられたわ!」

夫「へ?仕事で負けたって話じゃないの?」

妻「は?仕事で負けても悔しくなんかないわよ」

夫「え・・・」

妻「聞いて!聞いて!そのコね『いちごモンブラン事件』っていうのもあるのよ~!
  これも傑作なのよ~!!」

夫「いや・・・もういい・・・」

妻「なによ!面白いのにっ!」

夫「君・・・一体、どんな仕事をしていたの?」

妻「イタタタタッ!あ・・・頭が・・・」

※あくまでもフィクションです。

PS:彼の名誉のために言っておきますが、仕事はすごく出来る人です。
  尚、本人の許可もなく掲載したので、もし彼がこのブログを発見するような事があれ
  ばソッコー削除しますんで、そこのところヨロ。


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